2017年11月18日

徳の支配、力の支配

マスコミが日馬富士の事件で右往左往している。
誰が悪い彼が悪い、その内貴乃花親方と協会の確執だとも言う。
モンゴル勢はモンゴル人の中の話だから、事を荒立てたく無い。
相撲協会は、相撲協会内の不祥事を広めたくない。
いろいろな思惑がうごめいている。
前に書いたのだが、単に日馬富士は酒乱なだけだ。
元々賢いインテリ力士で努力家、篤志家でもある。
だから酒に飲まれなければ、良いのである。
マスコミは、その火の無い所に煙りを立てて、
火事にしようとしているのだ。(日馬富士引退か)
下らない連中としか言いようが無い。
ただ、日馬富士だけでは無くモンゴル人力士は、
日本との決定的な文化の違いをイマイチ理解出来ていない。
同じモンゴロイドなので、情の部分や師匠と弟子の関係は、
良く理解している。
ただアスリートの王者としての横綱と、
地上の力と神との架け橋をする横綱との違いがわからない。
アスリートの王者は、力の支配者だ。
多くの人を力で屈服させ、神の様に振る舞う。
ヨーロッパ人とか支那人に理解されやすい形だ。
何故なら彼等は100年と置かず戦争で支配者が変わる、
それが普通なのだ。
所が日本は長い歴史に中で
力の支配者の上に徳の支配者が居る。
それが皇室なのだ。
皇室は、民衆と神との架け橋であり、
民衆は人の支配で無く神の支配を受けるのだ。
だから横綱となったら、
人として完成度の高い、振る舞いが必要なのだ。
つまり徳の支配の代弁者で無ければ成らないのだ。
歴代横綱はそれに縛られながら重責を果たしてきた。
貴乃花はそれを言いたいのだ。
朝青龍は理解出来なかった。
彼は明るく元気でで素直で良い男だろう、
しかし、横綱になり舞い上がり、
その日本的な事が理解出来なかった。
せめて横綱の間は、徳のある人のフリをしなければならない。
普通人になれば解放されるのだ。
白鵬は苦労の末、大横綱の風が出来てきた。
日馬富士は、横綱の間は酒を止め、彼の普段であれば、
良い横綱として過ごせるだろう。
惜しい人材だ、ただ確かに自分より下位の者(立場が)に
手を上げるのは、徳とは最も遠い。
そうならない努力が必要なのだ。
弱い者イジメはXX人の様だ。
弱ければ、どこまでもつけ込む、嫌な人種だ。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 12:23│Comments(0)日記
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徳の支配、力の支配
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