2019年03月26日

公私混同

公私混同。
何故か古くさくなった言葉だが、
若者などは、この言葉を知らない。
大体、公と私の違いがわからないのだ。
これなのだから、意味も解らない。
戦後社会はマルクス主義が横行して来た。
特に戦後教育は、それに染まって来た。
共産主義は唯物論史観なので、煎じ詰めれば、
「神は金」「幸福とは金が多いこと」という事だろう。
それが良くわかったのは東京都知事。
東京都知事は予算と権力は、アジアの小国以上だ。
その戦後産まれの知事、猪瀬直樹も舛添要一も見事に
この公私混同で躓いた。
一言で言えば公の金と自分の金の区別がついていない。
しかも金額も大した事ない。
中国では下層の官僚でも10億20億なのに、1億にも届かない。
だから余計麻痺しているのだろうが、
私の知って居る戦前の感覚の人達は、
金額でなく公私は違うという事だ。
公は自分が参加する共同体の利益に叶うという事だ。
特に日本人は日本という共同体の属している。
何故なら国家という家だからだ。
他の国は国であっても国家ではない、つまり機能的組織という事だ。
別な言い方をすれば単にシステムなのだ。
日本人には、国の仕事が公であるし、
教育者も公、当然企業であっても公となる。
だから公私混同などは、考えてもみないのだ。
そして唯物論以上の問題なのは階級論だ。
階級闘争はマルクス主義では良くいわれるが、
元々の日本には階級はない。士農工商は階級ではなく分類だ。
それは大きく解釈すれば、単なる立場の違いなのだ。
それが戦後産まれが高い立場になると上の階級になった気になる。
運転手付きの専用車や大きな部屋、秘書や従僕に囲まれると、
マルクスに生きた時代の金持ちの気分で、
奴隷階級の労働者を扱う気分になり、おごり高ぶる。
誰も文句言わないので暴走するのだ。
普通の日本人は、それをnoという。
大陸や半島では、分け前にありつきたい奴らが、ゴマをする。
我々が公職に就くときは、必ず滝行など禊ぎをしたらどうだろう。
すこしは心のチャンネルが変わるかもしれない。
しかし小池百合子は、どうだろう。
どう見ても狡狸(ずるだぬき)にしか見えないが。
最近年のせいか目が見えない。
人間が妖怪に見える。桝添はビビビのねずみ男
猪瀨もカッパにしか・・・・
眼鏡を買おう。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 13:20│Comments(0)日記
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