2010年04月28日

袖摺りあうも

袖摺(そで)りあうも他生(たしょう)の縁、という言葉があるが、
若い頃、ある時期まで、他生の縁という事を、多少の縁だと思っていた。
駄洒落みたいなのだが、言葉で覚えたので、そうだった。
人間は、輪廻転生していて、縁があるというのは、どこかで会っているし、会う理由がある。
人と人の縁は大切であり、決して偶然ではない。という事の様だ。
仏教的な考え方と思うが、若い頃は、そういうものか位しか感じなかった。
しかし、歳をとり、多くの人との別れをしなければならない経験をすると、
そうあって欲しい、という気持ちからか、輪廻転生の考え方がしっくりくる。
キリスト教では輪廻転生を信じない人が多いらしいが、大切な人と別れるときは、
また来世で会いましょう、一時の別れですね。のほうが救われる。
そう思うのだが。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:38│Comments(2)日記
この記事へのコメント
同感ですね。
一時の別れで来世で会える…
私もそう信じています。
体は焼かれて天に召されても
魂は残る…
そして必ず来世で縁がもう一度…
信じることは大事なことでは?
Posted by イツキイツキ at 2010年04月30日 13:11
そうですね、たぶん我々の御先祖はそう考えて、

生きてきたのだと思います。

そのほうが、心の救いがあると思います。ネ
Posted by おじさん学生おじさん学生 at 2010年04月30日 18:11
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    コメント(2)