2011年03月31日

土手について

昨日も寅さんのビデオを観ていたら、土手で寅さんが昼寝をしていた。
多くの場合、寅さんが地元に帰って来る場面は土手を歩いている。
そこには空き地があり、野球に興じている人、ゴルフの練習をする人、
愛を語らうアベックがいて、昼寝をして寅さんがいる。
マッチ箱の様な自宅から離れて外の空気を吸う庶民の憩いの場所が土手なのだ。
金八先生も土手を歩いてくる。多くの生徒と行きかいながら、そこにいる人々と
挨拶をしたり言葉を交わしながら。
どうも、この土手には我々が落ち着ける何かがあるに違いない。
下町の庶民が、住むことの象徴であるのと、古くは民を災害から守るための
為政者の努力の象徴でもある。
信玄堤などは、その象徴かも知れない。
安心と憩い、震災の厳しさはそれを破られた事だろう。
土手で昼寝出来る喜びは、大事な時間なのだ。  


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2011年03月30日

真実は現場にあり

現場・現実・現物の3現主義という事がある。
色々なコメンテーターが原発事故について説明しているが、
現場が判っている人は何人いるだろう。
曰く、原発の現場で命がけで働いているのは、すべて下請けの作業員達だ。
東電の人間は、安全な所で指示をしているだけだ。
どこから、こんなデマが出たかは知らないが、ひがみ根性で憶測でものを言っているのだろう。
私が知る限り、東電の若い管理職で威張っている人間はいない。
真面目過ぎるくらい真面目で、責任感もつよい。
高圧線にも自分達で昇ってくる、下請けだけに任すような真似はしない。
それが彼らのプライドだ。
彼らが最も理解を示したのは、ノーブリスオブリージュ、つまりエリートの責任。
自らが先頭に立ち、危険な事こそ率先垂範という事だ。
だから、彼らこそ最前線にるという事を確信しているので、
被爆と聞いて穏やかにはいられなかった。
原子力委員会とか、天下り役人が多い上層部の管理職は知らないが、
現場の皆は、命がけなのだ。消防や自衛隊の人達と同様、その無事を願わずには居られない。
上層部は、腹を切ればいい。東電も、政府も、結果責任は当然である。  


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2011年03月29日

震災復興

大震災が起きて、まだ原発の始末が続き、当面電力の問題は続きそうだ。
しかし、被災者の為にも復興の為の準備を進めていく必要がある。
災害対策、電力供給、経済復興、など今までの延長線上ではなく思い切った変化が
必要だろうし、その新しいモデルを考える必要がある。
常識を上回った災害だから、何もしないなどと言う訳にはいかないだろう。
それなら新しい常識を作るのが人間の営みだ。
非常時には、先頭に立ち体を張るリーダーが必要だ。体力の無い年寄りや気力のない
若者には、それは無理だろう。
テレビに映る、政府の偉いさんは、作業着をきているが、何時見ても汚れてもいないし、
たたみ皺が残っている。
パフォーマンスで着ている事が見え見えだ。東京にいるのなら背広を着ればいい。
背広を着て、復興の青写真を国民に問い、夢と目標をリーダーは示すべきだろう。
といいながら、無理だろなぁと思う自分もいる。
早く選挙したほうがいいんじゃないかぁ。  


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2011年03月28日

金八最後の日

昨晩、金八先生の最後の卒業式を4時間かけてやっていた。
初期の金八先生の時には、仕事が忙しい時期でもあり、テレビを見る事が
なかったので知らなかったが、集大成を見てなかなか面白かった。
子供達というのは、時代を反映して、大人達の気分を反映して、
その中で苦しみ、もがくものだとあらためて思った。
頭がハゲてしまった生徒もいたが、物語でありながら生徒達は本当の生徒達になっていた。
目をキラキラ輝かし、全員が生き生きしていた。
きっと良い時間を過ごしたのだろう。
最後に金八先生が言っていた。多くの生徒達と過ごして、もっとも勉強できたのが
金八先生自身だと・・・・
同感だと思った。古いビデオを見ながら金八先生を比べると、人相が変わっていくのが判る。
男の40代の顔は、20代30代の生き方で決まるというがまさにその通りだ。
そして、生徒達もその通りだ。多くの気づきがあったのだろう、
いい顔をしている人は多かった。  


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2011年03月25日

友人からのメール

以下は、震災1週間後に、同じ大学院で学ぶモンゴルの友人のメールです。

皆様
イノマネ一年制カミラでございます。

この度の地震により万人を失った喪失感は計り知れないものです。
しかし、今を経験した日本は誰一人の命も無駄にならない復興を世界へやって見せることでしょう。
そして、この戦いに勝てるのは日本しかないと信じております。

私を本日まで見守り、育てたこの愛しき国になにかできることないかと思い、
昨晩「内モンゴル光の会」を設立しました。
今のところ、わずか9人の組織ですが、ボランティアでどこまでも行き、
なんでも致す決意でございます。

詳細:
車一台
看護士経験者2名
その他有志者7名
活動資金あり
活動期限なし

なにかボランティア必要な場所ございましたら、24時間随時連絡ください。
24時間随時出発可能です。
情報ください!!

連絡先:
xxx-xxxx-xxxxkamira)
Kamiraxxxx@soft bank.ne.

以上
kamira

そして、彼女は1週間に2回も現地に行き、ボランティア活動をしてくれた。
現地からの彼女の情報で、東京の仲間に緊急の薬が連絡され、2人の子供の
命が救われた由。
まったく頭が下がる思いだ。
残された日本人の我々がやらねばならないことも多いはずだ。
そして、学位授与式の時、全員の前で話をした彼女の姿。
勿論、拍手の嵐の中。

ちょっとピンボケ失礼。  


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2011年03月24日

最後の市ヶ谷にて

市ヶ谷の釣り堀。
放射能騒ぎは、何処吹く風。
  


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2011年03月23日

人生最後のミッション

テレビで震災の報道を見ていたら、放射能の恐れから医者や住民が
出て行った町があった。
その町で産婦人科をしている老医師が、数少ない医師として町に残り処方をしていた。
何人かの若い女性看護師もキビキビと働いていた。
何故逃げないのですかという問いに、自分の医者人生の最後のミッションだと
答えていた。
自分が居るだけで回りが安心してくれる、とも言っていた。
やはりこの国の国民は健全なのだと、思った。
若い看護師の人達も、キビキビと見えたのも、彼らのミッションなのだからだろう。
最近、金の計算ばかりが上手い医者や坊さんを見てきたので、
新鮮だった。
この国は、表の錆びを取って磨けば、美しい波紋が出る日本刀と同じように、
その内部までは腐っていない。
復興の為の人材は間違いなくいる。そんな気がした。  


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2011年03月23日

希望の星の子供達

今回の震災で驚かされたのは、中学生や高校生の活躍だ。
最後にお婆さんと一緒の助けられた中学生の少年は、自分が助かる前に
お婆さんがいる事を訴え続けていたという。
今回甲子園に出てきた東北高校の生徒達も、地震後ずっと水の配給を手助け
していた。
ニュースでは、安否確認に回っている中学生のグループもいた。
その中には母親の安否が不明な子もいた。
その様な彼らの笑顔は希望の光だ。暗い顔をしたお婆さんやお爺さんも
彼らの笑顔に救われている。
それらを見ていると、彼らこそが東北の未来のみでなく
日本の未来を切り開く人間になるだろう。
こんな大事な時期に送り込まれた魂なのだから。  


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2011年03月22日

頭(ず)が高い

ニュースで石原知事が、首相に噛み付いた事が出ていた。
なんでも、東京消防庁の部隊を原発に投入する時、消防庁に、言う事を聞かなければ、
罰する、という言い方で、危険な任務に送り出したそうだ。
それに対して、東京都の石原知事が噛み付いたのだ。
命の危険の有る場所に送るには、それは無いだろうという訳だ。
それに対して、首相は陳謝したらしいが、それを聞いて、小学校の学級会の様な政府だなぁ
と思った。悪い事をしたら先生に言いつけるという訳だ。
海上保安庁の尖閣ビデオの時も、中国人の船長に気を使い、
日本人の保安庁の人間には強く出る。
自衛隊員に対しても、同じように上から目線でものをいうとも聞く。
自分達が散々否定してきた人間に頼むのが嫌なのだろうが、
現場で命がけでやっている人達に対して、本当に頭が高い。
彼らには、人間の使い方が判っていない様だ。
人間は権力に従うのではない。使命や責任、そして思いやりで命を掛けるのだ。
口先だけの命令では、動かないものだ。  


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2011年03月21日

危機管理のリーダー

日本の人達の冷静で我慢強い対応は海外から評価されているが、
どうもこれは良いにつけ悪いにつけ日本人の本質の様である。
「ベンチがアホやから野球が出来ない」は昔からの日本体質で、現場のリーダーと
兵隊は世界一なのだが、上層部は無能というのは、太平洋戦争時の欧米の日本評価だ。
学者さんで、そういうのは欧米が日本を見たステレオタイプというのだが、
それはひねくれた見方だろう。
明治の戦争の時のリーダーも、太平洋戦争で欧米を震え上がらせてリーダーも、
陣頭指揮で、弾が届きそうな所から指示していた。
一つ間違えば死を意味する。それを見て部下達も奮い立つ。
どこぞの首相も何時その事に気づくのか、一生気づかないだろうが・・・
現場にヘリで行こうとしたら、現場から体よく断られた首相は、
「命をかける」という言葉はむなしい。
しかし、色々言われながら、自分達も被災者なのに、
原発に張り付いて仕事をしている、若い技術者がいる。
下請け、孫受けでありながら命がけで働いている若者達がいる。
だから、この国は大丈夫なのだ。
そして、本当の実権を彼ら世代に渡すべき時も近いはず。
老害は、野球のセリーグ開幕に口をだす爺さんだけではあるまい。  


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2011年03月21日

桜の頃


昨日、静岡地方気象台は、日本本土で最初の桜の開花宣言をした。
今日の清水区船越堤公園の桜。
ソメイヨシノは、まだ蕾。
  


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2011年03月19日

鎌倉

久々の鎌倉
駅前のいわた珈琲店のホットケーキ
一人前八百円
30分待ち
  


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2011年03月18日

円高是正

円高に対して先進7カ国が協調介入した。これは12年ぶりとか。
ハイエナの様に弱った経済大国に襲い掛かってくる輩は、少しは減るだろうか。
しかし、こうした中、震災の募金を装った詐欺が横行しているという。
原発パフォーマンスで大忙しの政府に期待は出来ない。
直接被害が無かった我々の出来る事は、こういうハイエナの様な連中から
経済を守るモニターをする事と、火事場泥棒の様な詐欺をやる人間に目を
光らせているべきだろう。
私財を10億円寄付したユニクロの柳井さんもいれば、金儲けの為に金額をつりあげて
人を踏み台にしようとする人もいる。
これは、相手を良く観察するチャンスだ。そして真面目な会社に光をあてる機会でもある。
  


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2011年03月17日

日常の大切さ

天皇陛下からビデオレターが流された。
やはりこういう時に御言葉を頂けるのは有り難い。
国民の為に祈りを捧げている陛下としては、当然かもしれないが、当然の事を
当然として行う事が大切の事だろう。
自衛隊員は国民の危機の現場で仕事をし、消防隊員は怪我人の収容、火事の消化
役場の人は安否確認とインフラの整備、当たり前の事を一生懸命にしている。
芸能人は募金活動、昨日からお坊さんが市内を歩き回り托鉢をしている。
これらも自分の仕事を粛々と行っている。
震災に直接関係のない我々は、募金などの援助以外は自分の仕事をちゃんとする
日常が大事だろう。その事で日本経済を下支えして、復興のための資金を
集めるのも大事な仕事だ。
円が急騰している、これは投機筋が火事場泥棒を狙った投機だろうと思う。
政府は、これらから国民経済を守る事も大事な仕事だ。
首相は電力会社の悪口を言っている暇があるなら、投機筋に抑制させるメッセージ
でも考えてほしいものである。
震災の復興に向けて経済を立て直す事が第一である。
さもなければ被災者の人達により多くの苦しみを残すだけなのだから。  


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2011年03月16日

イギリス政府の福島原発の評価

テレビをみていてもヒステリックな報道のマスコミと、
政府のなにを言いたいのか判らない報道が多いので、
池田信夫さんのブログに載っていた、
イギリス政府の福島原発の評価を載せて置きます。

* 1つの原子炉がメルトダウンしても、被害が出るのは50キロ圏内。
   2つ以上の原子炉がメルトダウンしても、被害はあまり変わらない。
* 現在の20キロ圏内の避難勧告は、妥当な判断。
* 専門家は、東京在住者への健康被害の可能性はないと見ている。
* 専門家は、風向き云々ではなく、
   東京は距離的に離れているから健康には影響ないと見ている。
* 原子炉が冷やされるにつれて、10日程度で状況はかなり改善する。
* 日本の当局から出される情報は、多くの機関から監視されており、
   現在まで正しい情報を流していると見られている。
* チェルノブイリとはかなり状況が違う。
   チェルノブイリの時は、原子炉がメルトダウンし、
   ケースが爆破し、何週間も炎上していた。
   チェルノブイリの時でさえ、30マイル(50キロ)離れていれば、
   健康を守るのに十分だった。
   一番問題となったのは、被災した食料・飲料を食べて病気になったこと。
   当時、食料の放射線レベルを測定したり、
   危険を知らせる試みは、全くなかった。
* ブリティッシュスクールの校長は、学校を閉鎖し続けるか質問してきたが、
   原発を恐れ、閉鎖する必要はないと回答した。
* ヨウ素に関して、専門家は、多量の放射線や被災した
   食料・飲料を取り込んだ際に限り必要となるもので、
   長期にわたり、ヨウ素を体内に取り込むのは、
   どんな場合であっても、不健康。

となっています。  


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2011年03月16日

デマに気をつけて

福島原発の状況についてデマが飛んでいる。
日本の原発はチェルノブイリになりえない。
元々設計も違うし、メルトダウンは起さない。
チェルノブイリは設計もお粗末なら、管理者も酒を飲みながらの状況だ。
本来のメルトダウンは、チェルノブイリの様に、発電所そのものが融解して起きる。
日本の原発はそうはならない、しかし、放射性物質が出てくる可能性はあるが、
メルトダウンの様に多量に出る訳ではない。
今の政府とマスコミには、理系の知識があり、正常な判断が出来る解説者がすくない。
まずは冷静に、今やるべきことを判断して粛々と進めるべきだ。
総理も電力会社を叱る暇があるなら、被災者の住宅建設や行方不明者捜索の
陣頭指揮をとるほうがいい。
そして命を掛けて職務を全うするべきだ。  


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2011年03月16日

すわ東海地震

昨日の夜は、さすがに外に出てしまった。
東日本震災の時も驚いたが、今回は「ついに誘導されて発生したかと、思ってしまいった。
就寝しても眠れず、1時間以上してようやっと眠った。
しかし、東北関東の被災者の皆様の事を思えば恥ずかしい限り。
東京電力の福島第一原発もえらいことになっている。
若い社員が命がけでコントロールしようとしている。
東電の責任云々をいう人も居るが、その責任は、
経営陣と天下り官僚にとってもらって、現場で命がけで働いている若い人達、
消防署、自衛隊員にエールを送ろうと思う。  


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2011年03月14日

首都圏停電

東京電力の火力発電所と、原発がストップした影響で、首都圏が大停電だ。
東京電力や原発関係者への不満は最もだろうと思う。
多くの人が怒りの声をあげている。
その中で、私としては「こらえて下さい。」という思いでいる。
実は私は研修の講師をしていて、東京電力の若手の管理職の中に数百人の教え子がいる。
火力発電所から来た者、原発から来た者など多く居た。
火力発電所で死んだ者もいる。原発で放射能の中、作業している者もいる。
彼らのは、ノーブリスオブリージュ、東京電力は公企業であるから責任があると
指導してきた。
そんな彼らが、命をかけて戦っているかと思うと、祈らずにはいられない。
色々な資料によると、警察官、消防士、自衛隊員で行方が判らない人達が
多数出てるという。
きっと命がけで職務を遂行しているのだろう。まず我々が出来る事から考えねば。  


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2011年03月12日

大地震

昨日から今日にかけて大地震だあった。
知れば知るほど大きな災害だ。
国難と言っていい規模になりそうだ。
家族の安否が解らない人達からすれば、心が張り裂けそうだろう。
これから、無傷だった地域がどの様な支援をするか、
対応が急がれる。
ニューヨークで株が暴落したとか。
株主利益を主張する輩は、さっさと逃げるのだろう。
リスクも一緒に被れない輩の利益は、どこまで考えるか、
良く見ておくべきだろう。
同胞が危機の時には仲間は逃げないのだから。  


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2011年03月11日

学生生活の終わり

2年間大学院で学んできたけれど、後は卒業を待つだけになってしまった。
事実上学生ではなくなる。
仕事をしながらの学生生活は、器用とは言えない私には負担だったけれど、
なぜか一度も辞めたいとは思わなかった。
良く考えると周りの人達、会社の人、家族、お客様、友人、同級生、先生などの多くの人達の協力
があって初めて出来たのだと思う。
そう考える、無事に2年が終わった事も奇跡に思えてくる。
世の中の多くの人達は、その実力や意欲がありながらもチャンスが巡って来るとは限らない。
だから、こういうチャンスに恵まれた事だけでもラッキーと言わざるを得ない。
そして私の年代の人間は、社会にどの様に恩返しをするかを考えなければならない。
稀有な機会に恵まれたのなら、どの様にそれを社会に恩返しをするのか、
それがこれからの課題の様だ。  


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