2009年08月31日

日本の文化

先日、ある本を読んでいたら、世界で一番難しいゲームは、将棋である。
と書いてあった、囲碁や麻雀などが好きな人から異論が出そうだが、
チェスや将棋は、元々インドに生まれた戦争ゲームが発祥で、
ヨーロッパでは、チェスになり、中国では中国将棋になり、韓国では韓国将棋として、発達した。
そして、将棋以外は、一度取られた駒は死んでしまい、二度と使えない。
しかし、将棋だけは駒を取ったほうが自分の駒として使える。
そのため、将棋以外は、コンピュータに強い人がプログラムを入力すると、
その名人でもかなわなくなるが、まだ将棋だと不可能という事である。
これだけコンピュータが発達しても、プログラムしきれないらしいのである。
この戦いに敗れた人を殺さず、味方にするというのが、日本独特の文化という事だそうだ、
日本以外の国では、そういう考え方が基本的に無い。
大陸は、同じ土地の取り合いなので、人を残すと邪魔らしいのだ。
神社めぐりをしていると、相撲のルーツも、昔、神々の頃、戦争をすると、
多くの人が死ぬので、替わりに代表が力比べを行い、勝敗を決めた。
そして勝った部族が、兄で負けた部族が弟、で兄弟の契りを交わした。
なんとも平和的な考え方だと思う。勿論、後の世で脚色した部分もあるとおもうが、
世界に誇る日本文化は、この考えかただと思う。
其の知恵が世界で評価される世の中になると良いけど・・・  


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2009年08月29日

教育指導

教育指導というとなにか偉そうなのだが、今のように不景気な時は、
子供や孫の代の人達が贅沢でないけれど、健康で人並みの生活をして思うと、
どの様な勉強をして、どの様な能力を身に付ければ良いか、というのが難しい。
サラリーマンは昔はやった歌のような気楽な家業ではなく、神経をすりへらし、疲れている人も多い。
一生勤めあげるのも難しい。
これからの時代だと、自己啓発をしながら、資格をとったり、大学院に通ったりしていかないと、
評価されないだろう。
じゃあ職人になって、人の真似の出来ない様な手に職をつけて、と思うが、
年季奉公の世界は楽じゃないし、たとい年季をあけて自分の店を持っても、
営業やら、会計処理やらを勉強しないと、経営が難しい。
なので思うのだが、中学卒業までで必修で店舗経営を教えたらどうだろう。
英語などが重要なのは解かるが、それより自分が店を出した時の金銭の計算や、
お客様への会話法、税金の計算法など、生きていくには、それが必修ではないだろうか。
皆さんは如何思われますか。  


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2009年08月28日

暗黙知

最近、暗黙知なるものを勉強している。
高度な技術を他の人に伝えるのに、本に書いたり、言葉で伝えただけでは、
伝えにくいもの。師匠から弟子に1対1で伝える様なもの。
それが暗黙知。反対に本やインターネット、言葉や図で説明できるものが、形式知。
じゃあ暗黙知の典型ってなんだろうか・・
真似しても本当には真似出来ないもの、芸能などは、その典型か
落語なんかは典型かな、歌もそうだろうな
そういえば先日NHKのテレビを見たら、天童よしみが美空ひばりの歌を
歌っていた。
間違いなく美空ひばりは天才だと思うのだが、天童よしみも、かなりの完成度だった。
彼女は本当に努力をしたんだなぁ、目標は美空ひばりだったんだ。
見ていてそれが解かる気がした。暗黙知の伝承ってこんな感じなのかな。  


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2009年08月27日

田圃のある風景

昨日は仕事の関係で焼津まで車で行ってきた。
街中は市街化されているけれど、少し田舎に行くと、田圃のある風景が続く。
そして小川が流れていて、ふと子供の頃の夏の風景を思い出した。
約束の時間まで少し余裕があったので、小川の横の農道に車を止め、
小川を覗き込んだ。フナらしき魚の影をみつけ、それを見つめていた。
濃い緑の田圃の上を風が流れ、青い稲の香りを運んできた。
我々の祖先は何千年の間、この稲を眺め、豊作を祈願して日々の暮らしをしてきたのだろう。
ボーとしてるだけで、あっという間に時間が流れる。
遠くに、この田圃の持ち主らしいお爺さんが立っている。
かかしの様にはとんど動かず。
それが、そのまま、絵の様に。
少し充電出来た時間。  


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2009年08月26日

ボケない?!

私の親の世代だとリタイヤして久しい。
旅行に行く人、趣味に没頭する人、仕事以外に生きがいの無い人、
様々な諸先輩がいる。
その方々を見ていて思うののだが、あまり人付き合いの無い男性からボケていっている様に思う。
勿論、決め付けてる積もりも無いので一般論なのだが。
その理由を考えた。
昔、ある方(経営コンサルタントの)から聞いた事だが、人間の肉体は衰えるし、脳も衰える。
しかし、脳の衰えを緩やかにして120歳でも十分に普通の状態にいられる方法があると言っていた。
確かホメオシタシスの研究をしていた人の本からの知識だろうと思うが。
それは、右脳を活性化する事だそうだ。
右脳は左脳の何倍も容積があり、普段は、あまり使われていない。
勉強や仕事で活発に動ける人は、左脳が発達している。
しかし、脳梗塞や脳が衰えると、左脳は機能が低下する。
その時、右脳が左脳を補完して働き始める。
なので、普段から右脳を活性化すると、万が一の時にも右脳がよく働く。
そう言って、その方は、わざと左手で道具を使っていた。
じゃあ、左ききは完璧かといえば、ずっと左のみを使っていると習慣化して
左脳の機能になってしまう。
なので、自分にとってのチャレンジじゃないと右脳は活性化しないらしい。
それと、もうひとつ多くの人とコミニケーションを取ること。
常に新しい情報を入れて、考えるかららしい。
女性の長生きの秘訣は井戸端会議にあると言われている。
今は井戸端が無いから、好きな人が集まったサークルやコミニティ
それが、ボケない秘訣になるのかも、
いずれにせよ、新しい事にチャレンジ、そしてティータイムに気の置けない話
それか女性の長生きの秘訣らしい。  


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2009年08月25日

発想する事

今、色々な企業で高付加価値の商品を考えたり、
新しいビジネスモデルを考えたりしている。
研究室、経営会議、営業会議、すべて緊張の連続。
終われば、また次の仕事。
なんだか自分が枯渇している感じがする。発想も貧弱になった様な・・
それで昔を考えてみた。新規のシステムやら開発を手がけた時。
体力があったので徹夜で考えて、それでも発想出来なくて、「ええい、ままよ」
酒飲んで寝ちまえ・・、そして朝、布団の中で目が覚める頃「あ、そうだ!!」
いつも、不思議とその連続だった。
それは、①自分を追い込む②リラックスする③発想する④その内容を整理する。
そして①へ・・そんな事を繰り返していた。
どうも、それは発想の理にかなっているらしい。
思考を科学する本に似た事が書いてあった。
で、そのリラックスが難しい。酒を飲むだけがリラックスではないだろう。
人によっては瞑想したり、座禅したり、している。
そのリラックスが下手なために、発想出来ない事が多い気がする。
面倒な会議は、休憩の喫煙室で結論が出る。
今は、タバコも吸わないし、お酒も昔ほど飲まない。
やはり、それに変わる方法を考えないと発想するのは難しい様だ。
  


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2009年08月24日

考えるという事

普段の生活の中で考えるという事をどの位しているか、を考えた。
結構やっているつもりだったが、思いのほか少ない。
というのは、仕事の中の判断は、考えるというより条件反射に近い。
様々な条件の中で、どれがベストかを探し出す、少しは考えているかも知れないが、
ほとんどが、すでに考えた事、あまり新しく無い。
私などは、本を読んだり、パソコンでオペレーションをしたり、人の話を聞いたりの一日。
あとは、ボーとしながらテレビを見たり、それって情報を取り入れているだけで、
考えている訳ではない。
そう思ったのは、ウォーキングの最中だ、時間がある時、一時間くらい散歩をする。
メタボのために、医者に進められての事だが、昨日フト思ったら、考えているのはこの時間だけだ、
それ以外は、ほとんど、情報を取り入れながらなのだ。
携帯を持つが、音楽プレーヤーとかラジオを持たないので、自分自身と会話する貴重な時間。
考えるというのは、こうゆう事だった。
「人間は、足の裏で考える」というが、そうゆう事なのか・・
ウォーキングは体にだけでなく、心にも良い事に気づいた一日。  


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2009年08月23日

珈琲考

珈琲に目覚めたのは、学生時代だった。
授業の無い日、近くの喫茶店で、珈琲一杯で一日jジャズを聴きボーとしていた。
ある時、その珈琲が「深い」と感じた。それまでは、ただ苦いとしか思わなかったのに、
その時から、その喫茶店のマスターとポツ、ポツ話す様になった。
珈琲の色々な淹れ方、味わい方。「いい珈琲は哲学をさせるんだ・」と言っていた。
そのマスターは珈琲の世界では有名な人の様で、卒業してから遊びに行ったら、
アンアンに載ってから味のわからん人間が押しかけて迷惑していると、言っていた。
頑固な親父だった。
静岡にも一軒美味い店があった。そこの親父も頑固だった。
苦い、と言ったり、ミルクを入れようものなら説教が始まった。
その説教を横で聞くのも面白かった。
両方のマスターは、珈琲とタバコが命だった。
ほんとに真剣勝負を挑む様な珈琲だった。値段が高いと思った事も無い。
そんな珈琲を淹れてみたいともおもった。
二人が亡くなって久しい。今喫茶に行ってもめったに珈琲をのまない。
ほとんどの店で腹が立つ、高いと思う。いい加減な珈琲、はっきり不味い。
珈琲もどきなら、マックの100円で十分だ。
昨日、久々に行った喫茶店、実はあまり期待していなかった。
しかし、反射的にホットと言ってしまった。
本を読みながら一口飲んで、あっと思った。
瞬間、顔を上げた、そこのは年老いた、マスターと奥さんがいた。
久々の美味い珈琲。硬くなった心が解けて行く様な。珈琲の世界に入っていった。
マスターが入れたんだ、と思った。
70年以上の人生を感じる深い珈琲。そんな世界だった。
最近は若い人が店をやっていたので珈琲は期待していなかった。
前は美味しかったけど、今の珈琲はいただけない。
きっと若い人が休みだったのだろう。
一つ学習した、この店は老いたマスターがいる時は、珈琲がのめるのか。
数十年の年季に追いつくには時間がかかるのだろう。
そのマスターの長生きを祈るのみ。珈琲の味を思い出した日だった。  


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2009年08月22日

安倍七観音(徳願寺)

安倍七観音の最後は、徳願寺である。
安倍川の西岸、向敷地の山腹にあり、富士山を正面に、眼下には静岡市を眺める景色の良い所で、
桜や山茶花の名所でもある。
昔は大窪寺と称し、真言宗の道場であった。
本尊である千手観音は、行基伝説の安部七観音のうちの一体である。
古代には千寿院という密教の寺院で、里人が仏平と呼ぶ、山頂に近い扇松のあたりにあったという。
開基は今川6代義忠の正妻北川殿であり、菩提処である。法名徳願寺殿茲雲妙夢大姉。
北川殿は伊勢新九郎(北条早雲)の妹で、慶長19年(1614)京都方黄寺の鐘銘事件の時、
豊臣の忠臣、片桐且元が大阪から下った際、且元は家康に遠慮し て、
この寺で家康の命を待ったとの説があるが、駿府城を見下ろす山上の徳願寺ではなく、
丸子の誓願寺に泊まったとも言われている。
寺には今川氏などの古文 書を多く所蔵している。
このお寺から眺める安倍川と静岡市はサイコー!
一度お参りをされると良いですよ(写真)

  


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2009年08月21日

安倍七観音(増善寺)

この増善寺については、安倍七観音の当時の資料は手に入らなくて、
その後、守護大名今川氏親の菩提寺として有名。
七代氏親は、今川家の歴代当主らが臨済宗系であるなか、
例外的に曽洞宗に帰依していた。
これは幼時に家督争いに巻き込まれた時の周りの縁者の影響と言われる。
夫人の寿桂尼(氏親没後に出家)は、公家の娘で、当時争乱で疲弊した京都を逃れ、
駿府に下向する公家らが多く駿府は小京都をうたわれていた。
ここには、氏親の木像が残されている。今川文書は静岡市の文化財である。
静けさの中のたつ観音堂(写真)

  


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2009年08月21日

ゆきてかえらぬ

もうだいぶ前になるが、そんな名前の本を読んだ。
亡くなった人達に対する作者の思いが綴られた本だった。
詳細については忘れてしまったが、この題名(ゆきてかえらぬ)が鮮明に残っている。
この世の中に多くの人達がうまれ出て、いつかは、亡くなっていく。
それぞれ成功作や失敗作の人生もあっただろうし、
自分の天命を知った人もいたろうし、そうでない人もいたろうと思う。
そう思いながら、こうしてブログを書くと、子供の頃から自分に関わってきてくれた
多くの大人達を思い出す。しかも、可愛がってもらったり、育ててもらったり、
そのおかげで今があり、これから自分が後の世代のために、せめて自分が受けてきた分くらいの恩を
返してから、いけるだろうか?・・・そんな事を考えると、
「あかん、そんなもんでは、ゆるしまへんで」と、心の中に
何故か関西弁の答えが帰ってきた。  


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2009年08月20日

安部七観音(平澤寺)

静岡県立美術館の近くにあり、平澤観音と呼ばれる平澤寺は、
和銅年間に法相宗の高層、行基上人が諸行行脚(710~713)の途中、この地に立ち寄り、
地蔵菩薩を彫刻して草堂を建て安置ちたことに始まるという。
七観音の言い伝えは、ここでは、養老二年(718)元正天皇の十八歳になる
皇子(後の聖武天皇)の病状が悪化しため、諸国の寺社で皇子の病気平癒祈願が行われ、
行基上人は再度駿河国を訪 れた。
上人は高さ五十メートル、直径二十四メートルの楠の木を伐り、七体の観音菩薩像と刻み、
二十一日間皇子の病気回復を祈願したところ、
不思議なことに 皇子の病気は快方に向かい治ったといわれる。
行基上人は七体の観音菩薩像のうち一体を当寺に、続いて順次、
駿河国安倍郡の六箇所の寺に一体づつ安置した。
この七体の観音菩薩像が安置されているところが「安倍七観音霊場」といわれている。
とされている。ここもあまり人が訪れるこのがなく蝉の声が賑やかなお寺さんです。
  


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2009年08月19日

安倍七観音(法明寺)

安倍七観音の一番元になるのが、この法明寺の大楠木の伝説にある。それは、
美和村足久保の法明寺の境内に楠の大木があったが、夜になると怪しい光を出した。
村の人達は驚き、何か悪い事が起きる前じらせではないかと心配した。
丁度その頃、延暦年間(800~805)奈良の都では、
聖武天皇がご病気で大変ご容態が悪かったので、お側の人々が心配してご看病したが、効き目が無かった。
そこで陰陽博士に占わせたところ「ここよりはるかの東の国に、千年を経た楠の大木があり、
今まさにその樹の寿命が尽きようとしている。
樹は尊い仏体に彫刻されて人々を救いたいと願っている、その望みも叶えられそうもないので、
天子様のお体を悩ませ奉るのである。
その楠を探し出して、尊い僧に仏体を彫刻させて拝んだならば、
お悩みはたちまち治るであろう」と申し上げた。
そこで日本中の国々に命じて千年の齢を経た楠の老樹を尋ねさせた。
そこへ、駿河の国司から、美和の郷にある楠の老樹の事を報せてきた。
それで、天皇は、その頃、徳の優れた、有名な行基という僧侶を駿河国へ下らせた。
みことのりを受けた行基は、遠い旅路をはるばると、夜に日についで道を急ぎ、美和の郷に着き、
早速、村人に案内させて足久保の山中に入り、空一杯に枝を張った楠を見た。
成る程、これこそ千年の齢を終えようとする樹である。この樹こそ仏体を彫刻するにふさわしい樹だ。
とその楠を切り倒させようとした。
村人が楠に丁とばかり斧をあてると、樹の切り口から真っ赤な血がほとばしった。
枝下七十メートルの楠が倒れると村中に巨大な地響きが鳴り渡った。
村人は驚き斧を捨てて真っ青な顔をしてふるえた。
しかし、行基は恐れる村人達をはげまし、なおも丁々と伐らせると、
その切り口から血はコンコンと湧き溢れ、足久保川は樹液で真っ赤に染まったという。
やがて倒された楠は長さ三十三尋(約50メートル)直径十三間(約24メートル)もある大木であった。
行基は身を清め、一刀三礼といって、刃を当てるたびごとに三回拝んで、
七体の観世音菩薩を彫り終えた。
これを駿河国府に近い七つのお寺に安置して、十七日の間、天皇の後脳平癒の祈願を執り行った。
そのためか奈良の都においでの天皇のお悩みもすっかり、ご平癒遊ばされた。
行基は楠の切り株の近くにお堂を建て、その中に観世音菩薩を安置した、というお話。
この七体が安倍七観音の七体という事のようです。
いまの法明寺の観音堂(写真)、静かな普通のお寺という感じです。
  


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2009年08月18日

安倍七観音(霊山寺)

霊山寺は、地元では大内の観音様と親しまれている。
室町時代末期まで史料がないが、開創は行基だと伝えられている。
慶長5年(1600)に元識法印が再興した、とされている。
寺のある山は帆掛山と呼ばれ、観音の 山道は三十三曲がりの急な細い山道で、
それは、観音三十三身の化現を意味し、
途中6基の町石(里程標柱)は六波羅蜜を意味する。観音堂(写真)

ここは、室町時代につくられた仁王門(写真)も有名。

静かな一時を楽しみたい方は一度お参りを。
そうそう、のぼり口には、駐車場とトイレがあり、スキーのストックが杖の必要な人の
ために置いてあります。  


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2009年08月17日

安倍七観音(鉄舟寺)

この鉄舟寺そのものが安倍七観音ではなく、すこし上の久能山山頂に、
久能寺として、1500年前(推古天皇の時代)に開かれたという。
その後、僧行基がつくった千手観音が安置され、久能寺と称された。
その後、僧行基をはじめ多くの名僧が相次いで来たり、
建物も三百三十坊も建てられ非常に隆盛を極めた、が嘉永年間(1225年頃)
山麓からの失火によって類焼し昔の面影はなくなりました。
その時代に栄えた秦氏によって栄えたとされている。
今は、蝉の声大合唱だけで、人気の無い観音堂(写真)
  


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2009年08月17日

小学生の夏休み

今からウン十年前、私が小学生の頃、
夏休みは清水港の岸壁で過ごしていた。朝から晩まで、
当時、10cmから20cmくらいのアジやサバが、いくらでも釣れた。
当時は竿釣りでなく、テジと言って、岸壁に座り糸をたぐり魚を釣る。
そこには、いつも常連のお爺さんがいた。
小学生の私が糸を絡ませて、解けなかったり、下手な糸の結び方をしていると、
「何やってるだ、ぼうず」と言って、糸を解いてくれたり、針の結び方を教えてくれたり、
してくれたし、釣り方も教わった。言わばOJTの先生の様に。
赤銅色に日焼けした顔に多くの皺があり、長い間漁師をしていた海の男は、
その釣りの技術も卓越していた。
あっさりと数十匹を釣って、酒の肴が出来た。と言って帰っていった。
そんな姿をみて、大人は偉いと思った。子供にとってのヒーローだった。
自分も、そんな年になったら毎日海をみながら、そんな生き方がしたいと思っていた。
しかし、今は清水港の岸壁も、テロ対策で進入禁止。
それまで、岸壁で釣りをしていた人達も追い出されてしまった。
彼らは何処に行ったのかしら、有料の釣り公園に船で行ってるのかなぁ
少なくとも小学生当時の私なら、出したくてもお金がないし、
釣りの趣味も諦めただろうな、そう思うとなんか寂しい。  


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2009年08月15日

カワハギ

子供の頃、よく釣りに出かけて一番面白い釣りがカワハギ釣りだった。
「餌とり名人」と言われるだけあって、あっという間に餌をとられる。
ギャング釣りといって餌に寄ってきたカワハギを針金のフックで引っ掛ける
釣りもあったが、それは邪道と思い、針に餌をつけて釣った。
本当に微妙な釣りで、針に様々な工夫をした。
定期期的にヤスリで針の先を研いだり、人によっては、返しの無い針を自作したり、
今でいうマニアの世界かも・・
しかし、食べても、このカワハギは美味しい。
煮付けにしたり、刺身にしたり。特に刺身は肝を醤油に溶かして、それに
身をつけて食べたりする。
酒の肴に最高というところ。まえに関西に仕事に行って
知り合いと酒を飲む事になった。
その時、水槽にカワハギがいたので、「大将、カワハギを刺身で」と注文した。
その刺身が出てきたとき、あろうことか肝が無い。
「大将、肝が無いよ・・」と私、「なんだ知ってるのか」と言い大将は小皿に取った
肝をだした。
たぶん、その時の私は、殺気立った怖い顔で大将を見ていたと思う。  


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2009年08月14日

カサゴ

魚屋さんの店頭にカサゴがあった。
これは、煮ても焼いても刺身でも美味しい魚である。
小中学校の頃は、よくこれを狙って釣りに出かけたものである。
釣りとしては、感触が面白い魚というわけでなく、それこそ食べるための釣る魚という感じ。
釣れた時は、ドンと重くなり特に抵抗せずあがってくる。
岸壁だと、せいぜい15cmから20cmどまり、煮るのが一般的だけど、沖で釣れると
30cmくらいある。これは、なんといっても刺身・・味が濃く美味!!
このカサゴ、すごく好奇心が旺盛らしい。
ダイビングをして海底にいると、向こうからよってくる。
おっきな目玉をクリクリしながら、「なんだ、なんだ」と言ってる感じ。
じっと見ながら、「こいつ煮て食ったらうまそだな!」と思った瞬間、一目散に逃げられた。
自然の生き物は、かなり感がいいんだろう。
ちなみに、このカサゴは、最近の研究でタウリンが豊富で、夏バテに良いとの事。
特に夏に旬の魚かも・・・  


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2009年08月13日

安倍七観音(建穂寺)

本日、所用があって静岡市の羽鳥に行ったので、
建穂寺(たきょうじ)について簡単な解説を載せます。
建穂寺は、白鳳時代(西暦662)に出来たとされ、養老七年(723)行基が再興したと
されています。平安時代には建穂神社の名前があり、神仏混淆の寺であったらしい。
今は建穂寺は無く、建穂神社(写真)があるのみです。
近くに観音堂があり文化財が保存されています。
興味のある方は一度見に行かれたらいいですよ、1300年の歴史が文化財に
凝縮している感じがします。
  


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2009年08月12日

継続

このブログを初めて1ヶ月そろそろ息が切れてきた感がある。
何事も継続する事は大変だ。
しかし、良い事もある、昔より文章が滑らかに出てくる事だ。
思う事は沢山あるけど、筆不精を直す意味での、ブログ開設なので頑張らないと。
ところで地震なのだが、震度6以上とか、体感では5くらいかと思っていた。
熟睡していたので、目が覚めた時からの記憶しかないので、そう思ったのかも知れない。
東海地震と言われて30年近い。何時おきても不思議でないと言われていた。
今回のは東海地震でないので、引き続き警戒を怠らない様にとの事だlった。
それを聞いて妙に安心した。東海地震じゃないという事でなく。
何時来てもおかしくないから、引き続き警戒を怠らない様に・・というコメント。
何時来ても・・と、言われると、まず来ないと翻訳する天邪鬼な翻訳機が
どうも頭の中にあるようなので、・・・ 反省  


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