2024年04月24日

松下幸之助の偉さ

最近は少なくなったけれど、前は松下幸之助が作った教育機関で
教育の仕事をやっていた。
多くの本の中には、幸之助がゼロから世界に冠たる大企業松下電器を創業した
つまり裸一貫から世界中の数十万人の社員いる大企業のTOPである事
それが代名詞となっている。
代筆もあると思うけれど、何百冊という本を出し、企業というものは
ものづくりの前に人づくりであると言って来た。
つまりは経営者のバイブル作り出してきた。
特に戦後PHPゼミナールという事で人づくりを行ってきた。
ただ疑問を感じる事も多く在った、それは、何故それほど人づくりに拘(こだわ)るのかだった。
私は最近日本の戦後の人心の荒廃について思い、戦前の教育のついて調べてみた。
そこで解ったのは、戦前の日本人、特にインテリ層のレベルの高さは
世界の平均を遥かに凌駕していたという事だ。
江戸時代もモノは無いが一般の平民はヨーロッパのインテリを凌駕する人材が居たという事だ。
松下幸之助は小学校しか出ていない、しかし、世界的企業を作った美しい成功物語を語り、
それについて語る講師は、かなり高学歴で、日本でトップクラスの大学を出ている。
彼らに、何故幸之助さんはそんなに頑張ったのかを聞くと、小学校しか出ていないから
高学歴な人間の負けない様に人一倍頑張ったという答えだ。
そんな、最近死んだ新興宗教のI。D氏の様に酷い学歴コンプレックスがあるとは思えない。
彼は、仏教の高僧に仏教論議を仕掛けるほどの自信家なのだ。
そして最近解った事、それが戦後の日本国民の民度がGHQの政策で
酷く貶(おとし)められて来た事だ。
それと同時期にPHP運動を始めたという事だ。
つまりはGHQへのカウンターであり、日本人の民度を貶める事を止める事を意図した動きなのだ。
そう考えて幸之助の動きを見ると、全て合点が行く。
だからその当時の側近はその全て合点して、何も言わなかった。
なぜなら悟られたらGHQとその協力者の全て潰されたからだ。
自分の会社などと小さな世界でなく、戦後心を貶められた日本人の美しい人間性を
維持発展させたいという思いだった。
今になったやっと松下幸之助さんの偉さが解った、
松下幸之助の偉さ
三重県鈴鹿市の椿大神宮の一角に松下幸之助社がある。
両方の神社にお参りしよう。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 13:30│Comments(0)日記
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