2018年09月26日

やはり相撲は終わった

相撲は神事と呼ばれるのは、形式美があるからだろうと思う。
単なる戦いで有るなら、どんな手段でも相手を殺せば宜しい。
欧米人や大陸人は、そうやって生きてきた。
条約や約束は破る為にある。
常に殺し合いをやっている彼等は、勝ってなんぼという生き方だからだ。
約束を破ってでも相手を殺してしまえば、死人に口なしなのだ。
日本が彼等と違うのは、「和をもって貴しすべし」一言で言えば
仲良くしよう。winーwinの関係であろうというものだ。
だからどうしても暴力でケリを付けねばならない時は、
全力で相手を倒すが、後ゆびを刺される事はしないのだ。
武士は、あいつは嘘つきだと言われる事こそ最高の屈辱であり、
岩崎弥太郎が三菱を起こすとき担保が無く、
もし約束を違えたら笑ってくだされと言った。
つまり、それこそが最大の担保だったのだ。
そういう文化の上で相撲は成り立っている。
だからモンゴル人の横綱の言動は納得出来ない。
まるで大陸人、中国人そのものの様だ。
白鵬も人前ではちゃんと装うが、どうしても小ずるさを感じる。
今回、貴乃花が角界を去るその潔さと対照を感じるのだ。
元はと言えば白鵬こそ暴力事件の責任者なのだ。
日馬富士が手を出して辞めざるを得なかったが、
元はと言えば白鵬自身の問題だ。
日本人の感覚では、上に行くほど責任を取るものだ。
だから貴乃花は腹を切った。
理由は部屋の若い衆の暴力事件だ。
白鵬をみろ、知らぬ存ぜぬ自分は被害者だぁ。
そして、横綱戦では平気で張り手、何が優勝だ。
それ以後不愉快で見て居ない。
相撲協会の腰抜けどもが、白鵬如きに肝を抜かれ
イジイジしている。
相撲は終わった、ウドの大木は何本集めても唯のウドだ。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 10:08│Comments(0)日記
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