2021年03月05日

教育とは考える訓練

もう鬼籍に入ってしまったが、師匠と先生と呼んでる人が居た。
生きていれば100歳を超えているので、戦前の教育を受けた人で、
その時代のエリート教育の話を良くしてくれた。
二人とも話が面白く、ちっとも偉そうな話し方をする人では無かった。
多くの時間私は金魚の糞の様について行き、
食事の席や酒の席で話を聞くのが好きだった。
今思うと、何かを教えるとかという事は無く、現実にあった事を淡々と
話す事も多かった。
師匠は帝国陸軍の将校で、先生は帝国海軍の将校で、
時には二人で、あの戦争で負けたのは陸軍の問題だとか、
いや海軍の問題だとか言っていたが、
二人はその話を楽しんでいる様でもあり険悪な雰囲気は微塵も無かった。
そんな二人に多くの質問をすると、
まず事実を確認してから、君はどう思うのかね、とか
君ならどうするかかねと質問が来る。
そして一生懸命答えると、目を細めて「それでいい」とか「いいねえ」とか
それだけで終わる。
ただ自分でも解るのだが、曖昧な物言いだと、特にコメントをしない、
ただ忘れた訳でなく時間を置いて、あれはどうだっけと来る、
このやり取りをしたのは、お二人とも80歳近くだったので、
忘れられていたのかと思っていたが、今思えば確信犯だと思う。
もっと考えろという事だったのだ。
今、その時考えた事が自分の基本となっている。
師匠も先生も見事な教育者であると思う。
教育している事はおくびにも出さなかった。
自分より大きな人に包まれている時は幸せなものだ。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 10:39Comments(0)日記