2013年05月13日
歴史にみる経済1
今日本をはじめ世界には色々な経済現象が起きていて未曾有の事態などと
言われているが、私が思うのは17世紀時点で既に日本経済の成熟性は
世界一だったろう思う。
経済の目は織田信長が流通というものの本質を見抜き、楽市・楽座を開き、
秀吉、家康はそれを近くで良く見ていて、政治の本質は経済である事を見抜いていた。
なので日本の近代史にこそ経済のヒントがある。
まず将軍綱吉の時代である。「生類憐みの令」で評判の悪い将軍であるが、
実は非常に優秀なリーダーであったらしい。
まず彼の時代は戦国の雰囲気がまだあり、「切り捨て御免」でやたら人を切り捨てても
許される雰囲気があった。なので「犬すら切り捨てれば、罪になる法律」を作って
人々から戦国時代から平和な時代へ意識改革をした様だ。
そして、低い身分でも優秀な人材を登用し、政ごとをリフレッシュした。
これはバカ殿では出来ない。
この中には、財政の荻原重秀や大学者の新井白石がいた。
荻原重秀は貨幣の改鋳をやり、インフレ政策を行い幕府の台所を救った。
それは、戦国時代が終わって人々は平和な時代なので、労働意欲も高まり
新田開発や増産努力をした。それに商業も発達し国家の総生産が増えていった。
しかし、貨幣の発行量は同じであったので、(当時米本位制でしかも増産は計算外)
当然デフレとなっていった。その本質を見抜き、荻原が行った財政措置だ。
近代経済学でこそ当然の措置なのだが、
ヨーロッパ列強が植民地経済以外知れなかった時代に見事な判断だった。
結果、皆豊になり、切り捨ても御免も極端に無くなり、平和で安定に向かったのだ。
ただ残念なのは綱吉の死後、新井白石は、
荻野が多くの改鋳で手に入れた小判を己のモノとしたとの罪を被せ、
失脚させた事だ。その額、26万両というから恐れ入る。
千両箱260箱、どうやって隠せたり運ばせたりしたのだろう。
新井白石は、朱子学の徒なので、人々が豊かさの中で羽目を外すのが
不愉快だったのだろう。かれは難しい顔をして学問をする事が正しいし、
清貧のなかに正しい生き方をする事が正しいと思っているからだろう。
しかし、この引締め政策が後の享保の大飢饉の引き金を引く。
大学者と呼ばれた新井白石こそ問題だったのだ。
そして平成の長期デフレ、元日銀総裁の白川さんって、
東大法学部をトップで出た大秀才とか・・・・
これはデジャブかい。
言われているが、私が思うのは17世紀時点で既に日本経済の成熟性は
世界一だったろう思う。
経済の目は織田信長が流通というものの本質を見抜き、楽市・楽座を開き、
秀吉、家康はそれを近くで良く見ていて、政治の本質は経済である事を見抜いていた。
なので日本の近代史にこそ経済のヒントがある。
まず将軍綱吉の時代である。「生類憐みの令」で評判の悪い将軍であるが、
実は非常に優秀なリーダーであったらしい。
まず彼の時代は戦国の雰囲気がまだあり、「切り捨て御免」でやたら人を切り捨てても
許される雰囲気があった。なので「犬すら切り捨てれば、罪になる法律」を作って
人々から戦国時代から平和な時代へ意識改革をした様だ。
そして、低い身分でも優秀な人材を登用し、政ごとをリフレッシュした。
これはバカ殿では出来ない。
この中には、財政の荻原重秀や大学者の新井白石がいた。
荻原重秀は貨幣の改鋳をやり、インフレ政策を行い幕府の台所を救った。
それは、戦国時代が終わって人々は平和な時代なので、労働意欲も高まり
新田開発や増産努力をした。それに商業も発達し国家の総生産が増えていった。
しかし、貨幣の発行量は同じであったので、(当時米本位制でしかも増産は計算外)
当然デフレとなっていった。その本質を見抜き、荻原が行った財政措置だ。
近代経済学でこそ当然の措置なのだが、
ヨーロッパ列強が植民地経済以外知れなかった時代に見事な判断だった。
結果、皆豊になり、切り捨ても御免も極端に無くなり、平和で安定に向かったのだ。
ただ残念なのは綱吉の死後、新井白石は、
荻野が多くの改鋳で手に入れた小判を己のモノとしたとの罪を被せ、
失脚させた事だ。その額、26万両というから恐れ入る。
千両箱260箱、どうやって隠せたり運ばせたりしたのだろう。
新井白石は、朱子学の徒なので、人々が豊かさの中で羽目を外すのが
不愉快だったのだろう。かれは難しい顔をして学問をする事が正しいし、
清貧のなかに正しい生き方をする事が正しいと思っているからだろう。
しかし、この引締め政策が後の享保の大飢饉の引き金を引く。
大学者と呼ばれた新井白石こそ問題だったのだ。
そして平成の長期デフレ、元日銀総裁の白川さんって、
東大法学部をトップで出た大秀才とか・・・・
これはデジャブかい。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 13:16│Comments(0)
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