2015年02月10日
逝きたる人達
この年になると、育ててくれた多くの人達を送った。
父親、叔父さん、伯父さん、先生、友人、そして師匠と呼ぶ方も亡くなってまる2年になる。
親の世代はいなくなり、これからは兄・姉の世代になるのだろう。
おちおちしていると自分の世代も怪しくなる。
人は必ず死ぬ、あとは時期の問題だけだ。
昔から亡くなっている人は心の中で生きているというが、
あれは、あながち嘘というか方便ではない気がしてきた。
父が亡くなって20年近いが、父を思うと近くに黙って座っている気がする。
何も話しかけないが、ただ座っているのだ。
10年以上前に亡くなった先生は、時折笑顔で、「見ているぞ」と言っている気がする。
そして亡くなった師匠なのだが、時たま師匠が思っているのか、
自分が思っているのか解らなくなる。
なんというのか、自分の中で同化している様な。
亡くなった師匠は戦友と共に高野山にいるとか。
戦後の日本の捻じれに心を痛め、死んでから戦友に合わす顔が無いと言っていた。
私も亡くなった後、師匠に合わす顔があるのかを、今から心配だ。
まだ何もしていない。
年ばかり無駄に食っている。
自覚が有るだけマシかもしれないが。
父親、叔父さん、伯父さん、先生、友人、そして師匠と呼ぶ方も亡くなってまる2年になる。
親の世代はいなくなり、これからは兄・姉の世代になるのだろう。
おちおちしていると自分の世代も怪しくなる。
人は必ず死ぬ、あとは時期の問題だけだ。
昔から亡くなっている人は心の中で生きているというが、
あれは、あながち嘘というか方便ではない気がしてきた。
父が亡くなって20年近いが、父を思うと近くに黙って座っている気がする。
何も話しかけないが、ただ座っているのだ。
10年以上前に亡くなった先生は、時折笑顔で、「見ているぞ」と言っている気がする。
そして亡くなった師匠なのだが、時たま師匠が思っているのか、
自分が思っているのか解らなくなる。
なんというのか、自分の中で同化している様な。
亡くなった師匠は戦友と共に高野山にいるとか。
戦後の日本の捻じれに心を痛め、死んでから戦友に合わす顔が無いと言っていた。
私も亡くなった後、師匠に合わす顔があるのかを、今から心配だ。
まだ何もしていない。
年ばかり無駄に食っている。
自覚が有るだけマシかもしれないが。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 17:37│Comments(0)
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