2015年06月24日
心を亡くす
忙しいとは、心を亡くすと書く。
常日頃若い諸君に話をするが、それが常に自分に返って来る。
95歳の母が早朝電話を掛けてきた。
まだ6時前だ、「最近疲れている様で心配だ。」という。
半分眠っていた私は、突っけんどんの答えをして電話を切った。
母は年並にボケが進んでいる、しかし、60歳を過ぎた息子が心配なのだろう。
考えて見れば、半世紀以上前の私は幼児の頃、
何があっても母に助けを求めていただろう。
そして、母も父も太陽が惜しみなく地上に光を注ぐが如く、
愛情を注いでくれていたのだ。
それなのに、自分一人で大人になったの如く、面倒くさいう人間として扱う。
それこそが心ここに無しの行為なのだなぁと思う。
人に揉まれ人になる道筋はなかなか険しい。
街で若いお母さんのお尻にしがみつき、周りを見ている3~4歳の子供を見ると、
そう言えば、ついこないだまで、あれは自分だ。
もしかしたら、あと何年かして、死んで、
またあんな感じに生まれ変わるのかしらん。
親って大事よね。
常日頃若い諸君に話をするが、それが常に自分に返って来る。
95歳の母が早朝電話を掛けてきた。
まだ6時前だ、「最近疲れている様で心配だ。」という。
半分眠っていた私は、突っけんどんの答えをして電話を切った。
母は年並にボケが進んでいる、しかし、60歳を過ぎた息子が心配なのだろう。
考えて見れば、半世紀以上前の私は幼児の頃、
何があっても母に助けを求めていただろう。
そして、母も父も太陽が惜しみなく地上に光を注ぐが如く、
愛情を注いでくれていたのだ。
それなのに、自分一人で大人になったの如く、面倒くさいう人間として扱う。
それこそが心ここに無しの行為なのだなぁと思う。
人に揉まれ人になる道筋はなかなか険しい。
街で若いお母さんのお尻にしがみつき、周りを見ている3~4歳の子供を見ると、
そう言えば、ついこないだまで、あれは自分だ。
もしかしたら、あと何年かして、死んで、
またあんな感じに生まれ変わるのかしらん。
親って大事よね。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 10:38│Comments(0)
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