2015年11月13日
日本語の大切さ
小学生の英語教育が取り沙汰されているが。
基本、反対である。しかし、今の教員のレベルでは仕方がないかも知れない。
日本語は複雑である。単純な意味だけでなく比喩や思いなどが入る。
場合によっては読む人により違う意味になる場合がある。
それに対して英語は記号であるから、意味に違いは無い。
つまりは実用語になる。
古事記なども読む人の心のポジションによって意味が違う。
そして違って良いのだという。それこそがその人の力量なのだという。
それは、太古の日本では口伝で伝えて来た。
直接の口伝を文字化すると、意味が十分伝わらない。
だからこそ、言葉の工夫と文字の工夫があったのだ。
正しいのは口伝、それに表現が加わったのだ。
そう言えば、子供の頃に母に聞かされた諺がこの年になり、
腹にずっしり応えるものだ。
96才で亡くなった母の言ってい諺。
「親孝行 したい時には親はなし、 さりとて石に衣は着せられぬ」
確かにそうだ、石の墓の前で、そう思った。親は本当に有難い。
基本、反対である。しかし、今の教員のレベルでは仕方がないかも知れない。
日本語は複雑である。単純な意味だけでなく比喩や思いなどが入る。
場合によっては読む人により違う意味になる場合がある。
それに対して英語は記号であるから、意味に違いは無い。
つまりは実用語になる。
古事記なども読む人の心のポジションによって意味が違う。
そして違って良いのだという。それこそがその人の力量なのだという。
それは、太古の日本では口伝で伝えて来た。
直接の口伝を文字化すると、意味が十分伝わらない。
だからこそ、言葉の工夫と文字の工夫があったのだ。
正しいのは口伝、それに表現が加わったのだ。
そう言えば、子供の頃に母に聞かされた諺がこの年になり、
腹にずっしり応えるものだ。
96才で亡くなった母の言ってい諺。
「親孝行 したい時には親はなし、 さりとて石に衣は着せられぬ」
確かにそうだ、石の墓の前で、そう思った。親は本当に有難い。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:00│Comments(0)
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