2017年09月02日

勝負に勝つ事

最近読んだ経営者の本に勝負という事が書いてあった。
彼は麻雀の実力がプロ並みで、経営者としても成功している。
それを読んで居ると、成るほどと思う事が多々あった。
例えば、無しの所から答えを出すという事だ。
高々今まで60年の人生だが、思うように事の全てがいった事など無い。
多くは、辛抱我慢の連続で、その中にキラと光る事たまにある程度だ。
どうするか判断に迷うことも多々あり、困った事ばかりだ。
しかし、私も10代前半から牌を握り、
30代で見切りをつけるまで、麻雀をやって来た。
学生麻雀以降もプロ相手に戦ってきた。
そんな中で明らかに自分の実力が伸びた事が
実感出来たポイントがある。
それは本当に追い込まれた時から勝負が始まるという事だ。
大事に勝負をやっていても、負けがこむ時がある。
当初は、そんな時は諦めて居たのだが、
あるとき勝っている奴が、転げ落ちるように負けた。
彼は秀才で打ち間違いが少なく、コンスタントに勝っていた。
所がふと自分の運に不安を持って、
もっと安全に勝とうとしたというのだ。
完全という歯車が少し狂ったら、あっという間に敗者になった。
私は、これは心の問題だろうと思い、仮に負けが込んでも、
常に勝ち上がる事のみにベクトルを据え、
冷静に可能性を追っていった。
するとかなりの確率で逆転するのだ。
特に上手い麻雀を打つ相手ほど簡単にひっくり返る。
彼等はセオリーを守る、いや守りすぎる余り手が読める。
引っ掛けをやる人間も基本同じだ。
同じ事を繰り返せば、どんな人間でも動物でさえも、
同じ手には、掛からないものだ。
勝負は受験勉強ではない正しい事を集めても結局、
勝つか負けるかだ。正しい手を打っても相手に読まれたら、
その瞬間から最悪手になる、それは勝負に負けるからだ。
偏差値秀才が社会に通じないのは、そんな事だろう。
科学の実験や研究なら正しさの積み上げが大事かも知れない。
ただ現在の様に競争社会、博打場社会では、
相手は何をしてくるか解らない。
それには常に諦めず可能性を追い続け、死の床につくまで、
負けなど認めない。
そんな気概が無ければ、生き抜けない時代なのだろう。
解り安い先達が居る、松下幸之助だ。
彼は、金は無い、学歴無い、健康無い、コネも無い。
しかし、自分は運の良い人間だと決めて、それを信じた。
そして、勝ち続けて天寿を全うしたのだ。
彼こそ本当の勝負師だ。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:00│Comments(0)日記
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