2018年07月13日
しゃれが効いた人生
桂歌丸師匠が亡くなり、笑点について多くの番組が組まれた。
私は笑点については、余り思い入れは無いが。
年老いた母の晩年に会話も無くなった時、テレビで笑点をつけて
一緒に食事したものだ。
それは、他の番組の余りの酷さに、年寄りに観させられなかった。
そういう意味では、数少ない番組であった。
ただ今の円楽の笑いの取り方は、一週遅れだろう。
立憲民主党と並んだ様な笑いは、しゃれにならない。
そして、そのしゃれという言葉こそ、東京で10年以上生活した中で
私は覚えた最初の言葉だ。
ちょとした冗談やベーソスがきいた話や行動。
粋な事や、軽いおふざけ。
それらを、しゃれと言った。
田舎からぽっと出では、シャレがわからない。
江戸落語は、このシャレが解らないと話にならない。
私の若い頃、中野に住んでいて、神輿を担いでいた。
そこには圓生とその弟子が住んでいて。
弟子達が神輿を担ぎに来ていた。
宮入が済むと彼等と飲むのだが、
そのしゃれがが効いた話は江戸落語の流れ、そのものだった。
そして桂歌丸は、明らかにその流れを感じる噺家だ。
粋な婆さんでもやらせたら逸品だった。
江戸落語はNHKではやれない噺が多い。
岡場所などで話した噺が多いからだ。
歌丸師匠も面に出せる噺も少なかったかも知れないが、
あの歯切れに良い、
聞きやすい噺が出来る噺家を失った事は悲しい。
本当にしゃれが効いた人生と言える、合掌。
私は笑点については、余り思い入れは無いが。
年老いた母の晩年に会話も無くなった時、テレビで笑点をつけて
一緒に食事したものだ。
それは、他の番組の余りの酷さに、年寄りに観させられなかった。
そういう意味では、数少ない番組であった。
ただ今の円楽の笑いの取り方は、一週遅れだろう。
立憲民主党と並んだ様な笑いは、しゃれにならない。
そして、そのしゃれという言葉こそ、東京で10年以上生活した中で
私は覚えた最初の言葉だ。
ちょとした冗談やベーソスがきいた話や行動。
粋な事や、軽いおふざけ。
それらを、しゃれと言った。
田舎からぽっと出では、シャレがわからない。
江戸落語は、このシャレが解らないと話にならない。
私の若い頃、中野に住んでいて、神輿を担いでいた。
そこには圓生とその弟子が住んでいて。
弟子達が神輿を担ぎに来ていた。
宮入が済むと彼等と飲むのだが、
そのしゃれがが効いた話は江戸落語の流れ、そのものだった。
そして桂歌丸は、明らかにその流れを感じる噺家だ。
粋な婆さんでもやらせたら逸品だった。
江戸落語はNHKではやれない噺が多い。
岡場所などで話した噺が多いからだ。
歌丸師匠も面に出せる噺も少なかったかも知れないが、
あの歯切れに良い、
聞きやすい噺が出来る噺家を失った事は悲しい。
本当にしゃれが効いた人生と言える、合掌。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 11:16│Comments(0)
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