2018年08月03日

信じる者の系譜

オーム真理教の教祖(帰化人朝鮮人)は問題外だが、
その教えを信じた者達も死刑になった。
行った事に対して責任を取るという事からすれば、死刑は正しい。
彼等はポアされて、生まれ直し修行をし直すべきだ。
ただ思うのは、何故彼等は、その全てかけるものを望んだか?
という事だ。
私も思うが、今の日本は信じる事の中心になるモノが抜けている。
少なくとも教育から外されている。
子供の頃、今の時期になると、戦争当時は苦しかった。
君たちは幸せ者だと言われた。
最初はそういうものかと思っていたが、次第に腹が立ってきた.
特攻隊の若者は、有る面、幸せ者ではないか。
少なくとも、命をかける、明快に信じるモノがあった。
自分の祖国、親、兄弟を守る為なら命を掛けた。
その瞬間、彼等は清々しい心境であったろう。
今、それが有るだろうかと思ったから腹が立ったのだ。
それが市丸海軍少将の「ルーズベルトに与ふる書」の中にある。
「 四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ 」
 (意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか)
という明治天皇の御製の価値観。
つまり地球上の全ての人は平和で仲良く暮らす世をを目指す
天皇陛下の、そのお仕事の一環を自分がしているという自負があったのだ。
だからこそ市丸海軍少将は、死のその瞬間まで、清々しい心境であったろう。
それを多くの日本人は思いを共有していたのだ。
良く見れば、オームの死刑囚達の悲しさは、
この日本の天皇制の美しさに気づけなかったのだろう。
もしくは、知る機会を持っていなかったのだ。
日本赤軍の重信房子なども同様だろう。
戦後GHQに狂わされた狂育に晒された者達。
結果、国が命を取る事となったのだ。
本来の日本人とは何なのか、今問われているのだ。
笑って命をかけられる国である事を。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 15:38│Comments(0)日記
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