2018年10月18日
何故自己が肯定出来ないのか
昔は、日本では子供を町や村で育てた。
近所の子が遊びに来ると、部屋に上げお茶やお菓子をやったり、
たとえば果物でも、笑えばくれた。
静岡では手を伸ばせばミカンを掴める。
あえて盗まなくても、「おじさん、おばさん頂戴」ですんだ。
勿論終戦直後の食糧難の時は、厳しかった様だが。
いずれのせよ、皆が子供を大事にしたので、子供達は愛情一杯に育ち
自分が大人になっても、子供達に同じ事をした。
皆子供は愛されている実感を持ち、自己肯定感が育った。
所が、戦後教育は詰め込みで欧米流。
子供は、甘やかさず自分の部屋を与え、自立を急がされる。
泣いても、騒いでも無視。
これは、狩猟民族の育て方だ。
その結果、人を信じない子供になり、人の愛し方を知らない。
自己肯定感が欲しいで、自信を持とうとする。
弱い奴をいじめて、強いと思いたい、
間違っても弱い事がバレない様に
バレたら皆に総叩きにされる恐怖。
これこそが今の若者心だ。
自己肯定感が無いと愛を求める。
結果、色事師ばかりになる、単なるエロだ。
愛などは、外には無い。
自分が自己肯定感が無い事が理解出来ていないと、
一生異性や他人に求めるだけになる。
もしくは、子供に求める。
しかし、それは暴力という形で。
悪魔の循環の中で迷い続ける。困ったモノだ。
近所の子が遊びに来ると、部屋に上げお茶やお菓子をやったり、
たとえば果物でも、笑えばくれた。
静岡では手を伸ばせばミカンを掴める。
あえて盗まなくても、「おじさん、おばさん頂戴」ですんだ。
勿論終戦直後の食糧難の時は、厳しかった様だが。
いずれのせよ、皆が子供を大事にしたので、子供達は愛情一杯に育ち
自分が大人になっても、子供達に同じ事をした。
皆子供は愛されている実感を持ち、自己肯定感が育った。
所が、戦後教育は詰め込みで欧米流。
子供は、甘やかさず自分の部屋を与え、自立を急がされる。
泣いても、騒いでも無視。
これは、狩猟民族の育て方だ。
その結果、人を信じない子供になり、人の愛し方を知らない。
自己肯定感が欲しいで、自信を持とうとする。
弱い奴をいじめて、強いと思いたい、
間違っても弱い事がバレない様に
バレたら皆に総叩きにされる恐怖。
これこそが今の若者心だ。
自己肯定感が無いと愛を求める。
結果、色事師ばかりになる、単なるエロだ。
愛などは、外には無い。
自分が自己肯定感が無い事が理解出来ていないと、
一生異性や他人に求めるだけになる。
もしくは、子供に求める。
しかし、それは暴力という形で。
悪魔の循環の中で迷い続ける。困ったモノだ。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 16:08│Comments(0)
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