2019年10月22日
Fukushima50の前
Fukushima50と言う映画が来年封切られる。
元は門田隆将氏の書いた「死の淵を見た男」の映画化だ。
これは、あの福島第一原発事故の起きた時、
どれほど現場が頑張ったか、
日本人としてどんなに頑張ったかの記録だ。
本の中で、吉田所長は早くから死を覚悟した。
ただ自分が死ぬ事より部下の死を必死で避けようとし、
そして自分の祖国の死を何よりも心配した。
そしてその部下達や関連会社の社員も、
消防隊員、自衛隊員も体を張った。
その結果、チェルノブイリ原発事故の10倍の
規模の事故になりかねない事故を,すんでで止めた。
これは神の領域としか思えない知恵で、抑え込んだ。
この時、政治家や東電の上層部のだらしなさは、
語り草となった。
小沢一郎は、故郷の東北や家族を捨てて大阪に逃げた。
後に奥さんに政治家として恥を知れと三行半を貰った。
菅直人はヒステリックの騒ぎ立て、
命がけで現場が海水注入しているのを辞めさせようとした。
吉田所長の無視で事なきを得たが、
彼の脅しで負ける様だったら日本は終わっていた。
吉田所長が癌で亡くなった。
これは間違いなく自分の体を放射能に晒して
頑張った事による被ばくだろう。
身を呈して事にあたった結果であろう。
そして、あまり大きく伝えられなかったが、
地震直後に津波で亡くなった2名の若い作業員、
彼らが地震直後原発の点検に行って、津波に巻き込まれた。
運転管理部の小久保和彦さん(死亡時24)と寺島祥希さん(死亡時21)。
真面目で律儀な2人は、最初に亡くなった。
吉田所長は今天国で、この二人をねぎらいながら、
我々を見ているのだろう。
それでも亡くなる前吉田所長は、俺はただのおっさん。
偉いのは部下と関連会社の仲間、
そして命がけでやってくれた、消防隊員と自衛隊員だ。
文中、門田隆将氏は、戦前の日本人は他者のため生きてきたが
戦後の日本人は自分の為にだけに生きてきた。
例えば、あの大阪に逃げたあ・い・つ。
所が、この大事故に対峙した現場の日本人は、
戦前の日本人と同じマインドだ。
そして、私の師匠が生前漏らして一言「日本人が正気のなった。」
彼らこそ正気の日本人、本物の日本人だ。
これこそ小学校の授業で「道徳」で取りあげなければならない
内容だと思うのだが。
元は門田隆将氏の書いた「死の淵を見た男」の映画化だ。
これは、あの福島第一原発事故の起きた時、
どれほど現場が頑張ったか、
日本人としてどんなに頑張ったかの記録だ。
本の中で、吉田所長は早くから死を覚悟した。
ただ自分が死ぬ事より部下の死を必死で避けようとし、
そして自分の祖国の死を何よりも心配した。
そしてその部下達や関連会社の社員も、
消防隊員、自衛隊員も体を張った。
その結果、チェルノブイリ原発事故の10倍の
規模の事故になりかねない事故を,すんでで止めた。
これは神の領域としか思えない知恵で、抑え込んだ。
この時、政治家や東電の上層部のだらしなさは、
語り草となった。
小沢一郎は、故郷の東北や家族を捨てて大阪に逃げた。
後に奥さんに政治家として恥を知れと三行半を貰った。
菅直人はヒステリックの騒ぎ立て、
命がけで現場が海水注入しているのを辞めさせようとした。
吉田所長の無視で事なきを得たが、
彼の脅しで負ける様だったら日本は終わっていた。
吉田所長が癌で亡くなった。
これは間違いなく自分の体を放射能に晒して
頑張った事による被ばくだろう。
身を呈して事にあたった結果であろう。
そして、あまり大きく伝えられなかったが、
地震直後に津波で亡くなった2名の若い作業員、
彼らが地震直後原発の点検に行って、津波に巻き込まれた。
運転管理部の小久保和彦さん(死亡時24)と寺島祥希さん(死亡時21)。
真面目で律儀な2人は、最初に亡くなった。
吉田所長は今天国で、この二人をねぎらいながら、
我々を見ているのだろう。
それでも亡くなる前吉田所長は、俺はただのおっさん。
偉いのは部下と関連会社の仲間、
そして命がけでやってくれた、消防隊員と自衛隊員だ。
文中、門田隆将氏は、戦前の日本人は他者のため生きてきたが
戦後の日本人は自分の為にだけに生きてきた。
例えば、あの大阪に逃げたあ・い・つ。
所が、この大事故に対峙した現場の日本人は、
戦前の日本人と同じマインドだ。
そして、私の師匠が生前漏らして一言「日本人が正気のなった。」
彼らこそ正気の日本人、本物の日本人だ。
これこそ小学校の授業で「道徳」で取りあげなければならない
内容だと思うのだが。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 15:12│Comments(0)
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