2019年11月28日

幸福論

幸福論などと厳めしいけれど、昨日友人の死を聞いた。
亡くなったのは10日ほど前なのだが、家人が返ってきた時、
階段の下で冷たくなっていたので、不審死扱いで警察が遺体を調べ
病院で死因を調べたので、遺体が自宅にになく。
結果、事故による自然死という事で、すぐ葬儀になってしまったという事だ。
亡くなる数日前に一緒に飯を食べながら世間話をした仲なので、
なんか現実感がなく、お悔やみに伺った。
ご家族に色々話をしながら帰ってきたが、
なんと一人の人間としてあっさり終わってしまったし、
本人の遺志として一切の金品を断って欲しいという事で、
彼らしい言い分だなとおもった。
確かに彼は金に対しては綺麗であった。
お金を出す話は一度もケチった事はないし、定年退職した後も
体が動く限りは働いた。
働いてい居れば、金で騒ぐことはないという彼らしい発想だ。
彼の価値は金より愛する人との交わりが全てであったのだろう。
恋愛結婚の奥さんをガンで亡くし、数年で母親を老衰で亡くし、
親友の難病を聞いてから、突然の様に体調の悪さを訴えた。
病院で検査しても原因が判らない。
酒やタバコを過ごす人間でもない。ただ働き者の彼だ。
彼は愛する人に囲まれている事、
そしてその人達を喜ばす事が幸せなのだ。
それが無くなった事が辛かったのだろう。
そう思うと彼は彼らしい見事な最期とも思える。
そんな事考えながら、テレビを見て居たら「相棒」をやっていた。
その中で詐欺で金を奪われ自暴自棄になって
犯罪を犯す年寄りの話が出てきた。
人生の価値は金かよと思い白けてしまった。
生の現実では人の生き様こそドラマだ。
彼は一度も言葉を使わず幸福論を語っていた。
合掌。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 14:26│Comments(0)日記
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