2020年01月16日
繋がりのない国
最近聞いた話だが、今の日本の若者達は、
人との繋がりを求めているというのだ。
人間関係が弱くなり、
繋がりが無くなり不安定になっているというのだ。
確かにそれは感じられる。
うつ病とか適応障害の若者達を見るにつけ、
彼らが大きな不安感を持っていると感じるのだ。
将来に対する不安、これは今の経済がデフレから抜けられず、
20年以上も不景気状態で就職も思う様にならないからだと思うのだが、
それだけではない教育で自我の確立を言い続けた為に、
唯我独尊ではないが、自分とは何者かを追求しすぎて、
何者かで無ければ、ならなと思い込んでいるのではないだろうか。
皆が、本田やイチローになる訳などない。
多くは、親の背中を見ながら親とあまり違わない人生を送るのだ。
昔の日本人は、同胞とともに楽しく日々が過ごせれば良い、
という程度であり、皆世間の一部であり、己の役割を果たし
皆が喜んでくれれば良かったのだ。
だから繋がりなど意識しなくても、地域でも仕事でも
たとえ道端でも普通の繋がりが出来たのだ。
ご近所さんと道で会えば長々話もするし、
法事で親せきが顔を合わせると何時間も近況を伝える。
それが希薄のなってしまって来たのだろう。
だから普通の距離のコミニケーションが出来ない。
ボキャブラリーも少ないのだ。
日本人は、もっともっとおせっかいで、人懐っこい民族のはずだ。
誰が今の暗い顔の日本人を作ったのだろう。
そんなものに負ける若者達、そして爺さん婆さん達もだ。
人との繋がりを求めているというのだ。
人間関係が弱くなり、
繋がりが無くなり不安定になっているというのだ。
確かにそれは感じられる。
うつ病とか適応障害の若者達を見るにつけ、
彼らが大きな不安感を持っていると感じるのだ。
将来に対する不安、これは今の経済がデフレから抜けられず、
20年以上も不景気状態で就職も思う様にならないからだと思うのだが、
それだけではない教育で自我の確立を言い続けた為に、
唯我独尊ではないが、自分とは何者かを追求しすぎて、
何者かで無ければ、ならなと思い込んでいるのではないだろうか。
皆が、本田やイチローになる訳などない。
多くは、親の背中を見ながら親とあまり違わない人生を送るのだ。
昔の日本人は、同胞とともに楽しく日々が過ごせれば良い、
という程度であり、皆世間の一部であり、己の役割を果たし
皆が喜んでくれれば良かったのだ。
だから繋がりなど意識しなくても、地域でも仕事でも
たとえ道端でも普通の繋がりが出来たのだ。
ご近所さんと道で会えば長々話もするし、
法事で親せきが顔を合わせると何時間も近況を伝える。
それが希薄のなってしまって来たのだろう。
だから普通の距離のコミニケーションが出来ない。
ボキャブラリーも少ないのだ。
日本人は、もっともっとおせっかいで、人懐っこい民族のはずだ。
誰が今の暗い顔の日本人を作ったのだろう。
そんなものに負ける若者達、そして爺さん婆さん達もだ。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 14:19│Comments(0)
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