2020年11月05日

11月25日

50年前の11月25日、三島由紀夫が市谷の駐屯所で割腹した。
私は田舎の公立高校で能天気に未来のみをみて麻雀に明け暮れていた。
その日授業が終了し休み時間だった。
担当の教師が、いつになく深刻な顔で入ってきた。
この先生は石部健吉としか言いようの無い、実直で真面目を絵にかいて
歩いている様な人で、個人的には好きな先生だった。
彼は、三島由紀夫が市谷で割腹した事を告げ、くれぐれも動揺しないように、
そして自殺などは考えない様にと熱弁していった。
全員男子の生徒たちは、ポカーンとして聞いていた。
どっかのおっさんが(当時小説家という事ぐらいしかしらなかった)
自殺した事で、地方の高校生が、何で動揺するのか、自殺など思いもよらぬ。
先生何を言っているのかなぁ、と思っていた。
明らかに動揺していたのは、教職員だった。
生徒たちは、腹を切る作法がどうの、内臓を引きずり出してとか、
首が落とせたとか、テクニック的な興味だった。
あれから50年、真剣に日本人の大和魂の心配をして、
腹を切ってもまで訴えた事が判って来た。
戦前の教育を受け、戦後教育酷さを知っていた、先生こそ
当時の生徒たちより純粋の国を思っていたのだ。
そして今、戦後は、どんどん遠くなってきた。
先生が居なくなったわけだなぁ。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 16:55│Comments(0)日記
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
11月25日
    コメント(0)