2021年03月13日
もうひとつの3.11
3.11が起きた時、朝日新聞は現場の作業員が卑怯にも逃げ出したと報じた。
当時の菅首相は逃げるなと凄んで見せたが、全てでっち上げだった。
先日テレビでもfukushima50が上映され、
吉田所長以下多くの原発の作業員たちは己の責任として命を懸けて対処した。
その時年配者の決死隊が出来たという。
それがこれ爺の決死隊。

未来がある若い作業員の放射線をあてられないというのだ。
後にこれらを門田隆将氏にすっぱ抜かれて、
朝日新聞は小さな訂正記事を出し、菅直人は言葉を濁して逃げた。
人を批判する人間は己が尺度という事が解った事件だ。
fukushima50のその裏で2人の若い作業員が亡くなった。
東京電力の社員、小久保和彦(こくぼ かずひこ)さん(24)と寺島祥希(てらしま ゆうき)さん(21)だ。
二人は地震のの後、逃げるどころか原発の損傷を確認に現場に飛び
運悪く、津波に飲み込まれた。
遺体は何か月後に見つかったが除染が必要だったという。
吉田所長はそれを知りながら、目の前の原発のコントロールに必死だっただろう。
後に知ったのは、この時吉田所長は末期がんだったそうだ。
天は吉田所長と、健気な現場の所員の努力を了として、危機は免れた。
奇跡と言って良い結果だった。
私は、この時東京電力とは無縁ではなかった。
若い社員を対象に仕事への使命感を伝える研修の講師をしていたのだ。
主に3人の講師で延べ数千人に対して行った。その中にこの2人は入っていた。
彼らは未熟な私の様な講師が話した内容以上に見事な使命感を示し
短い人生に幕を下ろしたのだ。
吉田所長は私と同い年、彼の想いはこの2人にたいしても、いかばかりかと思う。
ご両親から預かった若い2人を死なせた重さは、どうだったろう。
所長も事故から2年を待たずして亡くなった。
天国で若い部下と酒でも飲んでいるのだろう。
私は、若い二人に使命感について話していたが、
実は使命感に気づかされたのは、むしろこの若い2人からだった。
この十年勉強させられたのは、私の方だったのだ。
それこそが、私の中の3.11.
合掌。
当時の菅首相は逃げるなと凄んで見せたが、全てでっち上げだった。
先日テレビでもfukushima50が上映され、
吉田所長以下多くの原発の作業員たちは己の責任として命を懸けて対処した。
その時年配者の決死隊が出来たという。
それがこれ爺の決死隊。

未来がある若い作業員の放射線をあてられないというのだ。
後にこれらを門田隆将氏にすっぱ抜かれて、
朝日新聞は小さな訂正記事を出し、菅直人は言葉を濁して逃げた。
人を批判する人間は己が尺度という事が解った事件だ。
fukushima50のその裏で2人の若い作業員が亡くなった。
東京電力の社員、小久保和彦(こくぼ かずひこ)さん(24)と寺島祥希(てらしま ゆうき)さん(21)だ。
二人は地震のの後、逃げるどころか原発の損傷を確認に現場に飛び
運悪く、津波に飲み込まれた。
遺体は何か月後に見つかったが除染が必要だったという。
吉田所長はそれを知りながら、目の前の原発のコントロールに必死だっただろう。
後に知ったのは、この時吉田所長は末期がんだったそうだ。
天は吉田所長と、健気な現場の所員の努力を了として、危機は免れた。
奇跡と言って良い結果だった。
私は、この時東京電力とは無縁ではなかった。
若い社員を対象に仕事への使命感を伝える研修の講師をしていたのだ。
主に3人の講師で延べ数千人に対して行った。その中にこの2人は入っていた。
彼らは未熟な私の様な講師が話した内容以上に見事な使命感を示し
短い人生に幕を下ろしたのだ。
吉田所長は私と同い年、彼の想いはこの2人にたいしても、いかばかりかと思う。
ご両親から預かった若い2人を死なせた重さは、どうだったろう。
所長も事故から2年を待たずして亡くなった。
天国で若い部下と酒でも飲んでいるのだろう。
私は、若い二人に使命感について話していたが、
実は使命感に気づかされたのは、むしろこの若い2人からだった。
この十年勉強させられたのは、私の方だったのだ。
それこそが、私の中の3.11.
合掌。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 16:51│Comments(0)
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