2022年01月17日
阪神淡路の震災から27年
もう27年、まだ27年色々な思いがあるだろうけど、
阪神淡路大震災から4半世紀以上が経った。
今思うと、それ以前の日本とそれ以後の日本のターニングポイントの
様に感じる。
まさか神戸で地震が起きるとは、から始まり、ねじ曲がった高速道路
左翼政権の不手際、善意の市民たちの活動、世界中からの支援
今に繋がる色々な事が起きる事になった事件だ。
多くの犠牲者を出し、親を失った子、子を失った親、心が締め付けられる
そんな事件が多発した。
それを経験した子供達は、もう立派な親になっている事だろう。
厳しい中から立ち上がって来た子供達は強くそして優しい大人になる。
そして、以外と知られていないが、この時に多くの企業が利益抜きの
ボランティアを行った。
コンビニが解放されたり、自販機が無料になったり、
被災企業に売掛金がある企業は、返済不要にしたり
困った時は、お互い様といった日本的な良心が、見えた時でもあった。
日本人の思いやりは、災害が多く、お互いが思いあわねば
生きてこれない社会だったのを実感した。
そんな事の始まりの時の気がする。
犠牲者の方を思い合掌。
阪神淡路大震災から4半世紀以上が経った。
今思うと、それ以前の日本とそれ以後の日本のターニングポイントの
様に感じる。
まさか神戸で地震が起きるとは、から始まり、ねじ曲がった高速道路
左翼政権の不手際、善意の市民たちの活動、世界中からの支援
今に繋がる色々な事が起きる事になった事件だ。
多くの犠牲者を出し、親を失った子、子を失った親、心が締め付けられる
そんな事件が多発した。
それを経験した子供達は、もう立派な親になっている事だろう。
厳しい中から立ち上がって来た子供達は強くそして優しい大人になる。
そして、以外と知られていないが、この時に多くの企業が利益抜きの
ボランティアを行った。
コンビニが解放されたり、自販機が無料になったり、
被災企業に売掛金がある企業は、返済不要にしたり
困った時は、お互い様といった日本的な良心が、見えた時でもあった。
日本人の思いやりは、災害が多く、お互いが思いあわねば
生きてこれない社会だったのを実感した。
そんな事の始まりの時の気がする。
犠牲者の方を思い合掌。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:09│Comments(0)
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