2009年08月17日
小学生の夏休み
今からウン十年前、私が小学生の頃、
夏休みは清水港の岸壁で過ごしていた。朝から晩まで、
当時、10cmから20cmくらいのアジやサバが、いくらでも釣れた。
当時は竿釣りでなく、テジと言って、岸壁に座り糸をたぐり魚を釣る。
そこには、いつも常連のお爺さんがいた。
小学生の私が糸を絡ませて、解けなかったり、下手な糸の結び方をしていると、
「何やってるだ、ぼうず」と言って、糸を解いてくれたり、針の結び方を教えてくれたり、
してくれたし、釣り方も教わった。言わばOJTの先生の様に。
赤銅色に日焼けした顔に多くの皺があり、長い間漁師をしていた海の男は、
その釣りの技術も卓越していた。
あっさりと数十匹を釣って、酒の肴が出来た。と言って帰っていった。
そんな姿をみて、大人は偉いと思った。子供にとってのヒーローだった。
自分も、そんな年になったら毎日海をみながら、そんな生き方がしたいと思っていた。
しかし、今は清水港の岸壁も、テロ対策で進入禁止。
それまで、岸壁で釣りをしていた人達も追い出されてしまった。
彼らは何処に行ったのかしら、有料の釣り公園に船で行ってるのかなぁ
少なくとも小学生当時の私なら、出したくてもお金がないし、
釣りの趣味も諦めただろうな、そう思うとなんか寂しい。
夏休みは清水港の岸壁で過ごしていた。朝から晩まで、
当時、10cmから20cmくらいのアジやサバが、いくらでも釣れた。
当時は竿釣りでなく、テジと言って、岸壁に座り糸をたぐり魚を釣る。
そこには、いつも常連のお爺さんがいた。
小学生の私が糸を絡ませて、解けなかったり、下手な糸の結び方をしていると、
「何やってるだ、ぼうず」と言って、糸を解いてくれたり、針の結び方を教えてくれたり、
してくれたし、釣り方も教わった。言わばOJTの先生の様に。
赤銅色に日焼けした顔に多くの皺があり、長い間漁師をしていた海の男は、
その釣りの技術も卓越していた。
あっさりと数十匹を釣って、酒の肴が出来た。と言って帰っていった。
そんな姿をみて、大人は偉いと思った。子供にとってのヒーローだった。
自分も、そんな年になったら毎日海をみながら、そんな生き方がしたいと思っていた。
しかし、今は清水港の岸壁も、テロ対策で進入禁止。
それまで、岸壁で釣りをしていた人達も追い出されてしまった。
彼らは何処に行ったのかしら、有料の釣り公園に船で行ってるのかなぁ
少なくとも小学生当時の私なら、出したくてもお金がないし、
釣りの趣味も諦めただろうな、そう思うとなんか寂しい。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 11:06│Comments(0)
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