2009年08月20日
安部七観音(平澤寺)
静岡県立美術館の近くにあり、平澤観音と呼ばれる平澤寺は、
和銅年間に法相宗の高層、行基上人が諸行行脚(710~713)の途中、この地に立ち寄り、
地蔵菩薩を彫刻して草堂を建て安置ちたことに始まるという。
七観音の言い伝えは、ここでは、養老二年(718)元正天皇の十八歳になる
皇子(後の聖武天皇)の病状が悪化しため、諸国の寺社で皇子の病気平癒祈願が行われ、
行基上人は再度駿河国を訪 れた。
上人は高さ五十メートル、直径二十四メートルの楠の木を伐り、七体の観音菩薩像と刻み、
二十一日間皇子の病気回復を祈願したところ、
不思議なことに 皇子の病気は快方に向かい治ったといわれる。
行基上人は七体の観音菩薩像のうち一体を当寺に、続いて順次、
駿河国安倍郡の六箇所の寺に一体づつ安置した。
この七体の観音菩薩像が安置されているところが「安倍七観音霊場」といわれている。
とされている。ここもあまり人が訪れるこのがなく蝉の声が賑やかなお寺さんです。

和銅年間に法相宗の高層、行基上人が諸行行脚(710~713)の途中、この地に立ち寄り、
地蔵菩薩を彫刻して草堂を建て安置ちたことに始まるという。
七観音の言い伝えは、ここでは、養老二年(718)元正天皇の十八歳になる
皇子(後の聖武天皇)の病状が悪化しため、諸国の寺社で皇子の病気平癒祈願が行われ、
行基上人は再度駿河国を訪 れた。
上人は高さ五十メートル、直径二十四メートルの楠の木を伐り、七体の観音菩薩像と刻み、
二十一日間皇子の病気回復を祈願したところ、
不思議なことに 皇子の病気は快方に向かい治ったといわれる。
行基上人は七体の観音菩薩像のうち一体を当寺に、続いて順次、
駿河国安倍郡の六箇所の寺に一体づつ安置した。
この七体の観音菩薩像が安置されているところが「安倍七観音霊場」といわれている。
とされている。ここもあまり人が訪れるこのがなく蝉の声が賑やかなお寺さんです。

Posted by 昔のシステムエンジニア at 00:32│Comments(0)
│安倍七観音