2010年02月16日

日本教

日本人には宗教が無いというけれど、それは大きな間違いだと思う。
井沢元彦氏が言う様に、日本人は、あまりに宗教が身近すぎて、
気が付かなくなっているだけで、世界で一番宗教的な民族だと私は思っている。
ただし、それは欧米人の発想の様に、自分の神以外はすべて間違いと
言う様な意味での宗教感は持っていない。
だから、にわか宗教人などの新興宗教に入ってしまう人には、解からないのかも知れない。
その証拠に日本人的には争いを好まない、むしろ避けようとする。
外人からすれば、臆病者にされてしまうが、古代から日本では、
争わずに事を済まそうとしている。
神代の時代に国譲りをするのに、決着は相撲をとって勝ったほうが上という事
に決まったという。
聞くからに、ほのぼのしているが、古い神道系の祝詞には、戦いで負けた神を
八つ裂きにして、内蔵を引きずり出し、糞をつめたというのがある。
実際はそうだったのだろう、しかし、その後、祟りがあまりあるので、(争いが収まらないので)
神社の成り立ちの多くは、負けた部族のリーダーを神にして、大きな神社を建てて、ひたすら、
褒め称える事で、祟り神に守り神になってもらって争いを収めた歴史の産物だ。
想像するのに、力で征服した戦争で、恨みを残し果てしなく殺し合いになった歴史が
あったのだと思う。
為政者達は、その無意味な争いに懲りて、「和をもって尊しとせよ」といい、
争いは、両成敗としたのだ。
この大きな和の社会を大和(やまと)といい、それが日本教の根本なのだが、
そんな事を学校では教えない。むしろ先生も知らないのかも知れない。
だから、もっと教えれば良いのだと思う。
この日本教の文化は世界に誇る哲学なのだ、相手を攻撃する宗教は必ず滅びる。
不毛の戦いのなかで、勝ったとしても後にはぺんぺん草も生えない。
それより共存共栄が良いということだろう。
先日問題になった、「相撲の品格」は、殺し合いの代わりに部族間の優劣を決める神事なのだ、
だから、勝ったほうが威張ったりすると、本当の殺し合いがあった時代があって、
謙虚な勝利者が尊ばれたのだろう。
これらのバックグラウンドを教えた上でなければ、品格の問題は日本人でも解からない。
まず日本教を確認するべきだと思うけどなぁ



Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:57│Comments(0)日記
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
日本教
    コメント(0)