2010年06月01日
駿河の歴史
最近また少し歴史の本をかじっていたら、今川義元の事が書いてあった。
今川義元と言えば、桶狭間の戦いで織田信長に討たれた武将として
有名なのだけれど、多くの場合、上洛の途中、織田信長を甘く見て
10倍の兵隊を持ちながら、やられてしまった、貴族趣味の大名という事に
なっているのだが、本当は駿河3国を制圧し、他の国々からの攻撃を
防いだ有力な戦国武将だった様だ。
しかも上洛をする気だったのでは無く、織田信長が有力な武将として
のし上がってきたのを観てとり、早めに芽を摘まねば後々恐ろしい敵になる事を
見越して、信長退治に出かけた。しかも桶狭間で不意をつかれ負けたのではなく、
正面戦で戦ったのだが、職業軍人というべき織田勢が強く、農兵が主だった
今川軍が負けた、というのが真相らしい。
諸説あるらしいのだが、私のご先祖も今川軍の中に居たらしいので、
興味がわいた次第。
今川義元と言えば、桶狭間の戦いで織田信長に討たれた武将として
有名なのだけれど、多くの場合、上洛の途中、織田信長を甘く見て
10倍の兵隊を持ちながら、やられてしまった、貴族趣味の大名という事に
なっているのだが、本当は駿河3国を制圧し、他の国々からの攻撃を
防いだ有力な戦国武将だった様だ。
しかも上洛をする気だったのでは無く、織田信長が有力な武将として
のし上がってきたのを観てとり、早めに芽を摘まねば後々恐ろしい敵になる事を
見越して、信長退治に出かけた。しかも桶狭間で不意をつかれ負けたのではなく、
正面戦で戦ったのだが、職業軍人というべき織田勢が強く、農兵が主だった
今川軍が負けた、というのが真相らしい。
諸説あるらしいのだが、私のご先祖も今川軍の中に居たらしいので、
興味がわいた次第。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 11:21│Comments(0)
│日記