2011年03月10日
正義の限界
先日ハーバードビジネスの教授が生徒と正義について話していた。
徹底的に掘り下げて、特に結論は提示していなかったので、
自分で考えろという事だろう。
欧米の文化として討論をして結論を出そうというのだろう。
そして自分の意見を引いたら負けという事だろう。
この辺が日本の文化と違うところだ。
日本的には、争わずどっちつかずの所の結論を出す。
それを欧米人がみて、弱腰や稚拙と考え攻撃してくる。
韓国や中国の人間もその傾向にある。
それを許す政府もだらしないのだが、実は最も懸命な判断がそこにはある文化だと思う。
古い歴史を紐解くと、日本では元々の部族と後から来た部族の戦いで、
殺し合いを繰り返し、それに懲りたから一神教から多神教に
変わったのだろうと思っている。
だから、AかBかでなくAでもBでもない別の道、しかし、AもBも否定しない。
その高度な体制が出来たのだろう。
少なくとも殺し合いは、最小限になる。
今、世界中できな臭い、その中で正義の限界を唱える人材が出てくるだろうか。
当然、今の日本政府でも、勿論、中国、アメリカ政府でもないけど・・
徹底的に掘り下げて、特に結論は提示していなかったので、
自分で考えろという事だろう。
欧米の文化として討論をして結論を出そうというのだろう。
そして自分の意見を引いたら負けという事だろう。
この辺が日本の文化と違うところだ。
日本的には、争わずどっちつかずの所の結論を出す。
それを欧米人がみて、弱腰や稚拙と考え攻撃してくる。
韓国や中国の人間もその傾向にある。
それを許す政府もだらしないのだが、実は最も懸命な判断がそこにはある文化だと思う。
古い歴史を紐解くと、日本では元々の部族と後から来た部族の戦いで、
殺し合いを繰り返し、それに懲りたから一神教から多神教に
変わったのだろうと思っている。
だから、AかBかでなくAでもBでもない別の道、しかし、AもBも否定しない。
その高度な体制が出来たのだろう。
少なくとも殺し合いは、最小限になる。
今、世界中できな臭い、その中で正義の限界を唱える人材が出てくるだろうか。
当然、今の日本政府でも、勿論、中国、アメリカ政府でもないけど・・
Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:57│Comments(0)
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