2011年05月21日
三陸追悼
友人は三陸の被災地に行ってきた。
話を聞くと、予備知識があったにせよ、現地に行くと、その酷さに言葉を失った様だ。
線香を手向け、黙祷をしたという。
たぶん私もその場に居たら同様の事をしたと思う。
人間は自然の前では無力だろうと思う。
日本人は、古来からそんな目を散々見て来たのでは、あるまいか。
その長い経験から、自然を征服するのではなく、自然と共存し敬う事をしてきた。
しかし、欧米文化が入って来て、その一神教の教えから自然は征服するものと
勘違いして、おごりが自分達に出た。
そんな風に感じた日本人が多かったのだと思う。
石原都知事も、そのつもりで自分も含めすべての日本人が・・・
という主語がうまく伝わらなかったのだろう。
日本全国のそこここにある神社は、それを忘れまいとする人々の
鎮魂の場だったのでは、あるまいか。
急ぐ事は無いが、すこし落ち着く事が出来る様なら、丘の上の避難所後に
森をつくり祠をおいて鎮魂の神社を作ったらいいのにと思った。
きっと昔の人は、そうして国難に対して祈り続けてきたのではないかなぁ
話を聞くと、予備知識があったにせよ、現地に行くと、その酷さに言葉を失った様だ。
線香を手向け、黙祷をしたという。
たぶん私もその場に居たら同様の事をしたと思う。
人間は自然の前では無力だろうと思う。
日本人は、古来からそんな目を散々見て来たのでは、あるまいか。
その長い経験から、自然を征服するのではなく、自然と共存し敬う事をしてきた。
しかし、欧米文化が入って来て、その一神教の教えから自然は征服するものと
勘違いして、おごりが自分達に出た。
そんな風に感じた日本人が多かったのだと思う。
石原都知事も、そのつもりで自分も含めすべての日本人が・・・
という主語がうまく伝わらなかったのだろう。
日本全国のそこここにある神社は、それを忘れまいとする人々の
鎮魂の場だったのでは、あるまいか。
急ぐ事は無いが、すこし落ち着く事が出来る様なら、丘の上の避難所後に
森をつくり祠をおいて鎮魂の神社を作ったらいいのにと思った。
きっと昔の人は、そうして国難に対して祈り続けてきたのではないかなぁ
Posted by 昔のシステムエンジニア at 15:19│Comments(0)
│日記