2011年05月26日

お寺の存在

社会が少子高齢化に伴い、日本の多くのお寺がその存在を危うくしている。
お寺は、檀家から入る供養料や葬儀の時の戒名料、付け届け、墓地の維持管理料などで
生計している。
しかし、それらを昔のように払う人が減ってきている。
たとい金があったにせよ、お寺に寄進するという事をしない世代も増えてきた。
多くの檀家を持ち、広い不動産を持たない寺は、副業無しでは生活は出来ない。
私の子供の頃は、学校の先生、特に国語などの先生に、寺の住職がいた。
また、幼稚園を経営しているお寺も多くあった。
今は、閉めている所も多い、子供が少ないし、居ても共働きのため保育園にあずけたいからだ。
今回の震災で思った事は、避難所となっているお寺があって、住職が
この時お役に立たなければという事で開放していると言っていた。
また被災地を草鞋履きで、読教でているお坊さんもいた。
これらを見たとき、お寺の存在が少し解る気がした。
人間は弱い、心はすぐ挫けそうになる。
そんな時、そばにあるお寺が役に立てば、それこそ存在意義なのかもしれない。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 11:11│Comments(0)日記
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