2011年09月05日
奥州藤原家
世界遺産になった奥州藤原家関係の寺や伽藍に、どんな意味があったのか
本によると。奥州藤原家は、土地の権力者清原家から、棚からボタモチ的に
権力を握ってしまった。
そして戦いに明け暮れた生活に嫌気がさし、当時京都を中心に流行していた法華経思想を
参考に王道楽土を奥州の地に作ろうとした。
しかし、そこに源頼朝が侍の国を作るのに邪魔なので、多くの言いがかりをつけて
藤原家を滅ぼしてしまった。
今から900年位前だろうか・・・それから、徳川氏が天下を取るまで400年近い時間がかかっている。
そんな平和主義の理想主義が、900年前に実現しようとしたのも不思議だが、
100年も続かず、滅ぼされた事も悲しい話だ。
ただ、そのような理想を持ち、平和な理想国家を作ろうとした人達が日本の地に居て
その思想を現代までつなげていたとするなら、確かに世界遺産に相応しいものだ。
今度東北に行く機会があったら、藤原家の気分でそれら伽藍を見て歩いたら、
また違う感慨もあるだろうと思う。
本によると。奥州藤原家は、土地の権力者清原家から、棚からボタモチ的に
権力を握ってしまった。
そして戦いに明け暮れた生活に嫌気がさし、当時京都を中心に流行していた法華経思想を
参考に王道楽土を奥州の地に作ろうとした。
しかし、そこに源頼朝が侍の国を作るのに邪魔なので、多くの言いがかりをつけて
藤原家を滅ぼしてしまった。
今から900年位前だろうか・・・それから、徳川氏が天下を取るまで400年近い時間がかかっている。
そんな平和主義の理想主義が、900年前に実現しようとしたのも不思議だが、
100年も続かず、滅ぼされた事も悲しい話だ。
ただ、そのような理想を持ち、平和な理想国家を作ろうとした人達が日本の地に居て
その思想を現代までつなげていたとするなら、確かに世界遺産に相応しいものだ。
今度東北に行く機会があったら、藤原家の気分でそれら伽藍を見て歩いたら、
また違う感慨もあるだろうと思う。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:45│Comments(0)
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