2011年12月23日
ダンシハシンダカ
立川談志が死んで一ヶ月余り、談志が死んだという記事が確かに出た。
テレビで生前最後の方の「芝浜」と見た。
良く作り込んである。いささかの妥協も無い。本人が天才という訳だ。
そしてCDだ出たので聞いてみた。30年ほど前にやった「芝浜」だ。
40才台の脂がのりきった頃、全く違う「芝浜」があった。これは、つい引き込まれてしまった。
良い落語家の話は、情景が浮かぶが、彼の話は話の中に入れられてしまう。
車の運転をしながらだと危険だ。
じっくり聞くに限る真剣勝負の様だ。
しかし、遂に生で彼の話を聞く機会が無かった事は残念だ。この年まで落語の良さを知らなかった。
それでも、有難い事に立川談志が生きた時代はAVの発達した時期だ。
多くも名作を音源や映像で残してくれた。
後の世には大きな財産だ。立川談志の人間としての肉体は亡くなったが、その芸としては
多くの物を残してくれた。
三遊亭円楽もそうだが、芸としての談志は多くの人達の中にまだまだ生き続ける。
テレビで生前最後の方の「芝浜」と見た。
良く作り込んである。いささかの妥協も無い。本人が天才という訳だ。
そしてCDだ出たので聞いてみた。30年ほど前にやった「芝浜」だ。
40才台の脂がのりきった頃、全く違う「芝浜」があった。これは、つい引き込まれてしまった。
良い落語家の話は、情景が浮かぶが、彼の話は話の中に入れられてしまう。
車の運転をしながらだと危険だ。
じっくり聞くに限る真剣勝負の様だ。
しかし、遂に生で彼の話を聞く機会が無かった事は残念だ。この年まで落語の良さを知らなかった。
それでも、有難い事に立川談志が生きた時代はAVの発達した時期だ。
多くも名作を音源や映像で残してくれた。
後の世には大きな財産だ。立川談志の人間としての肉体は亡くなったが、その芸としては
多くの物を残してくれた。
三遊亭円楽もそうだが、芸としての談志は多くの人達の中にまだまだ生き続ける。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 14:08│Comments(0)
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