2012年07月17日
いじめってなに
大津市のいじめの問題だ世間を賑わしている。
新しいいじめに証拠が出てくるたびに、胸が悪くならほど不愉快でいやらしい事をしている。
もう、いじめの言うより傷害、あえて言えば拷問の様な事を行なっている。
それに対して教師は、ふざけていただけと言っている様だが、その中に割って入る勇気がないのだろう。
教師は聖職ではなく労働者、いやサラリーマンということらしい。
私らの中学時代にも「いじめ」は、あった。
クラスで一番勉強が出来るがガリガリの青瓢箪みたいな奴がいた。
それが気に入らないと、事あるごとに影で殴っていた奴がいた。
誰も先生には言えなかった。その時に担当の先生はメガネを掛け痩せていて、しかも子供の頃
事故に遭ったとかで片腕だった。背もそれほど高くもない。
その先生が、その生徒に乱暴を知るところになった。その先生の怒りは凄まじく、
いきなり教室に入ってくるなり、その生徒を片腕でぶん殴った。
先生の方が背が低いので上向き加減で一発二発と殴った。
その生徒は、ムキになりポケットからナイフをとり出した。先生はそれでもひるまなかった。
「馬鹿やろう、やれるモンならやってみろ、自分の一生を捨てる気か、この馬鹿。」
生徒からナイフを取り上げると、耳を掴んで職員室に連れて言った。
それから一週間位停学になったろうか、それ以来その生徒は暴れなくなった。
私はその時、本気で「大人は偉い。」と思った。先生と言うのは命を掛けて仕事をしているのか。
今考えると、その先生は、私が心底尊敬した最初で最後の先生だった気がする。
残念な事に、その先生は私が卒業して2年後に脳溢血で他界してしまった。
当然その葬儀には、当時の教え子が全員揃っていた。しかし、その葬儀の最中
秀才の青瓢箪は、久々に会った友人と笑談していた。
そして、殴られたあいつは、最初から最後まで他人の目もはばからず大泣きしていた。
私には、少しそいつが羨ましくも感じたものだった。
中学生は難しい年頃だ。自分で自分がコントロール出来ない頃でもある。
いじめている本人も本当は救いを求めているのだろう。
体をはって育てようとする大人が居なくなった事は悲しい事だ。
今の子供に大人が偉いと思える時は来るのだろうか・・・。
新しいいじめに証拠が出てくるたびに、胸が悪くならほど不愉快でいやらしい事をしている。
もう、いじめの言うより傷害、あえて言えば拷問の様な事を行なっている。
それに対して教師は、ふざけていただけと言っている様だが、その中に割って入る勇気がないのだろう。
教師は聖職ではなく労働者、いやサラリーマンということらしい。
私らの中学時代にも「いじめ」は、あった。
クラスで一番勉強が出来るがガリガリの青瓢箪みたいな奴がいた。
それが気に入らないと、事あるごとに影で殴っていた奴がいた。
誰も先生には言えなかった。その時に担当の先生はメガネを掛け痩せていて、しかも子供の頃
事故に遭ったとかで片腕だった。背もそれほど高くもない。
その先生が、その生徒に乱暴を知るところになった。その先生の怒りは凄まじく、
いきなり教室に入ってくるなり、その生徒を片腕でぶん殴った。
先生の方が背が低いので上向き加減で一発二発と殴った。
その生徒は、ムキになりポケットからナイフをとり出した。先生はそれでもひるまなかった。
「馬鹿やろう、やれるモンならやってみろ、自分の一生を捨てる気か、この馬鹿。」
生徒からナイフを取り上げると、耳を掴んで職員室に連れて言った。
それから一週間位停学になったろうか、それ以来その生徒は暴れなくなった。
私はその時、本気で「大人は偉い。」と思った。先生と言うのは命を掛けて仕事をしているのか。
今考えると、その先生は、私が心底尊敬した最初で最後の先生だった気がする。
残念な事に、その先生は私が卒業して2年後に脳溢血で他界してしまった。
当然その葬儀には、当時の教え子が全員揃っていた。しかし、その葬儀の最中
秀才の青瓢箪は、久々に会った友人と笑談していた。
そして、殴られたあいつは、最初から最後まで他人の目もはばからず大泣きしていた。
私には、少しそいつが羨ましくも感じたものだった。
中学生は難しい年頃だ。自分で自分がコントロール出来ない頃でもある。
いじめている本人も本当は救いを求めているのだろう。
体をはって育てようとする大人が居なくなった事は悲しい事だ。
今の子供に大人が偉いと思える時は来るのだろうか・・・。
Posted by 昔のシステムエンジニア at 18:06│Comments(0)
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