2012年11月24日

42年

明日で三島由紀夫が割腹して42年目になる。
当時思春期の私などは、その鮮烈な死に方に驚き、切腹の仕方がいかに難しいなどと
友人と論じていた事を思い出す。
その頃の私では三島が何を言っているか解らなかった。
ただ芸術家という生き物は変人なのかという事と、天才は最後に狂ってしまうのだろうと思っていた。
それから40年、そんな事を忘れていた。
三島に対しては、大正ロマンを引き継いだ耽美主義の芸術家だと信じていた。
それが東北の大震災を見た時に、その被害の酷さと現実離れした災害の前で
命を懸けて自分の使命の為に行動した日本人がいかに多かったかを見せられた時、
この国には、なんと高い精神性があるのだろうかという事を見せつけられた。
若い頃から人生を斜に構えて見る事がカッコイイというような似非インテリなどには
到底説明がつかない事だと思えた。
その時に三島由紀夫が言っていた美しい日本の意味が分かった。
確かに今の日本は、彼が予言した「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、
からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、
或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。」と言った国となった。
しかし、心の深い所では日本人は生きていると感じた。
三島と生前親交のあった、ドナルド・キーンは日本に帰化する事で、この国に骨をうずめたくなった。
同じく石原慎太郎も80歳で自分の死に場所を見つけた。
40年かかったが、やっと大和魂は動いた気がする。
ただ全共闘世代と、その教え子達は・・・・覚めていない様だが。



Posted by 昔のシステムエンジニア at 16:07│Comments(0)日記
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