2018年03月11日
下級役人の悲哀
近畿財務局の役人が自殺した。
自殺した理由はわからないが、推論は出来る。
近畿財務局には不良在庫という土地があった。
空港の近くで飛行機の離発着の音で人が住めない土地だった。
その為、ゴミ捨て場として使っていたが、
蓮池というペテン師が、買ってやるという罠を掛けてきた。
財務局の職員は、不良在庫を買う人が来たという事で
不良在庫の処分が出来ると飛びついてしまった。
じつはそれが陰謀だったのだ。
その時形だけでも入札にすれば、問題なかったのだが、
他に入札する人は居ないと相対で進めてしまった。
つまりそれをネタに蓮池は職員を脅し、タダ同然に話を進めた。
それに乗ったのが、朝日新聞と立憲民主党などの反日勢力だ。
これで上手くすれば安倍内閣を潰す事が出来る。
今までは、それで上手くいった、しかし今はネットで情報がダダ漏れ。
財務省のキャリアは、早いとこ終わらせようと、
佐川国税庁長官の首を差し出した。
反日勢力は、之をテコに麻生財務、そして安倍首相を潰そうと狙っている。
とても見え見えの世界。
ここで国の為の手柄と思い頑張った近畿財務局の役人は追い込まれてしまった。
ちょっとしたミスだった、書類の作り方だったのだ、
慌てて修正しておいたが、改ざんだと言われ、朝日新聞と立憲民主党に
追い詰められた。
後は死ぬしかなかったのだ。
でも死ななければならないミスだろうか、彼の動機は邪悪だっただろうか。
とてもそうは思えない。
一人の下級役人が、書類作成のミスにつけ込まれ、
マスゴミと野党勢力という反日勢力、
そして蓮池というペテン師に命を奪われた。
本当の悪は何処にあるか、今のマスコミはぜってい書かない。
自殺した理由はわからないが、推論は出来る。
近畿財務局には不良在庫という土地があった。
空港の近くで飛行機の離発着の音で人が住めない土地だった。
その為、ゴミ捨て場として使っていたが、
蓮池というペテン師が、買ってやるという罠を掛けてきた。
財務局の職員は、不良在庫を買う人が来たという事で
不良在庫の処分が出来ると飛びついてしまった。
じつはそれが陰謀だったのだ。
その時形だけでも入札にすれば、問題なかったのだが、
他に入札する人は居ないと相対で進めてしまった。
つまりそれをネタに蓮池は職員を脅し、タダ同然に話を進めた。
それに乗ったのが、朝日新聞と立憲民主党などの反日勢力だ。
これで上手くすれば安倍内閣を潰す事が出来る。
今までは、それで上手くいった、しかし今はネットで情報がダダ漏れ。
財務省のキャリアは、早いとこ終わらせようと、
佐川国税庁長官の首を差し出した。
反日勢力は、之をテコに麻生財務、そして安倍首相を潰そうと狙っている。
とても見え見えの世界。
ここで国の為の手柄と思い頑張った近畿財務局の役人は追い込まれてしまった。
ちょっとしたミスだった、書類の作り方だったのだ、
慌てて修正しておいたが、改ざんだと言われ、朝日新聞と立憲民主党に
追い詰められた。
後は死ぬしかなかったのだ。
でも死ななければならないミスだろうか、彼の動機は邪悪だっただろうか。
とてもそうは思えない。
一人の下級役人が、書類作成のミスにつけ込まれ、
マスゴミと野党勢力という反日勢力、
そして蓮池というペテン師に命を奪われた。
本当の悪は何処にあるか、今のマスコミはぜってい書かない。
2018年03月11日
3.11に思う
今日は、あの震災から7年。
今思うと、あの日は日本が変わった日であり、
日本人が日本人として目覚めた日でもあった。
目に映るテレビの画面が本当の事なのかと思いながら、
被災者の皆様に何も出来ない自分に
忸怩たる思いもあった事を思い出す。
災害に遭った多くの人々に今日は黙祷をささげよう。
そして、この7年被災しなかった私の周りも寂しくなった。
師匠が亡くなり、母を失い、
大学時代の友を失い、一緒に起業した友も失なった。
自分として、どこか頼りにしていた人々がいなくなってしまった。
一人この世に残された、そんな気分の7年間だった様に思う。
この3.11の映像と似た気分で見ていた映像を思い出す。
9.11の映像だ、「あれは仕事の合間に音無しでテレビをつけた。
ジェット機が高層ビルに飛び込む。
それを見ながら、新しい映画のデジタル加工したもの
だと思いながら見ていた。
現実だと思いたくないのだ、
たといアメリカの人々だとしても生命は大切なものだ。
とても格好いいとか凄いとか思えなかったのだ。
そしてこの9.11と3.11というのは数字上の関係がみえる。
12を円に見ると、3と9は反対側にある。
合わせ鏡と言える関係にある。
やはり大きな災害や戦争などには、見えない力が働くのだろう。
なにが正しくなにが真実か、それを見つめながら行かなければ、
とても耐えられない。
我々は後に良い世界を残せるのか、今日はそれを念う日。
今思うと、あの日は日本が変わった日であり、
日本人が日本人として目覚めた日でもあった。
目に映るテレビの画面が本当の事なのかと思いながら、
被災者の皆様に何も出来ない自分に
忸怩たる思いもあった事を思い出す。
災害に遭った多くの人々に今日は黙祷をささげよう。
そして、この7年被災しなかった私の周りも寂しくなった。
師匠が亡くなり、母を失い、
大学時代の友を失い、一緒に起業した友も失なった。
自分として、どこか頼りにしていた人々がいなくなってしまった。
一人この世に残された、そんな気分の7年間だった様に思う。
この3.11の映像と似た気分で見ていた映像を思い出す。
9.11の映像だ、「あれは仕事の合間に音無しでテレビをつけた。
ジェット機が高層ビルに飛び込む。
それを見ながら、新しい映画のデジタル加工したもの
だと思いながら見ていた。
現実だと思いたくないのだ、
たといアメリカの人々だとしても生命は大切なものだ。
とても格好いいとか凄いとか思えなかったのだ。
そしてこの9.11と3.11というのは数字上の関係がみえる。
12を円に見ると、3と9は反対側にある。
合わせ鏡と言える関係にある。
やはり大きな災害や戦争などには、見えない力が働くのだろう。
なにが正しくなにが真実か、それを見つめながら行かなければ、
とても耐えられない。
我々は後に良い世界を残せるのか、今日はそれを念う日。