2022年12月19日
声かけ爺さん
声かけ爺さんというと最近だとストーカーとか変質者とか言われるのだが。
昔は何処の町にも居た。
子供の頃、道などの迷って居ると、「坊主どうした?」という声を聴いた。
色々面倒みてくれたのだろうが、小学校に入る前などは、
そうして貰うのは、自分の権利と思っていたので、余り記憶に残って居ない。
だが嫌な思いをした事は無いので、お菓子を貰ったり、
家まで送って貰ったり、親戚の如くだった気がする。
小学生の私は、岸壁釣りにハマってしまって、初夏から秋まで
岸壁で釣り糸を垂れていた。
その岸壁には、昼過ぎになると、赤銅色に日焼けした爺さんが釣りに来た。
年季の入った釣り箱は、ありとあらゆる仕掛けが入って居て、
それが釣具屋に無いものばかり。
未熟な私が、糸が絡んだのを直せずに切ろうとすると、
「わりゃどうした?」(典型的清水言葉)でのぞき込んできて、
「こう直さないと糸が駄目になる」と丁寧にきれいに直してくれた。
私の糸の結び方、針のつなげ方は、その爺さんから教わった。
しっかりしていて決して切れないし、スムーズに使える。
後で知ったが典型的な漁師結びらしい。
今思えば、身についた財産になっている。
多分引退した漁師だったのだろう。
そんな貴重な人生の師がゴロゴロ居た中で生きてきた事が幸せだったと思う。
自分がそんな年になっても
困って居る子供達に声かけれない。
私変態ではないし、危ない奴ではないのですけど。
ただ意気地は無い、困ったものだ。
昔は何処の町にも居た。
子供の頃、道などの迷って居ると、「坊主どうした?」という声を聴いた。
色々面倒みてくれたのだろうが、小学校に入る前などは、
そうして貰うのは、自分の権利と思っていたので、余り記憶に残って居ない。
だが嫌な思いをした事は無いので、お菓子を貰ったり、
家まで送って貰ったり、親戚の如くだった気がする。
小学生の私は、岸壁釣りにハマってしまって、初夏から秋まで
岸壁で釣り糸を垂れていた。
その岸壁には、昼過ぎになると、赤銅色に日焼けした爺さんが釣りに来た。
年季の入った釣り箱は、ありとあらゆる仕掛けが入って居て、
それが釣具屋に無いものばかり。
未熟な私が、糸が絡んだのを直せずに切ろうとすると、
「わりゃどうした?」(典型的清水言葉)でのぞき込んできて、
「こう直さないと糸が駄目になる」と丁寧にきれいに直してくれた。
私の糸の結び方、針のつなげ方は、その爺さんから教わった。
しっかりしていて決して切れないし、スムーズに使える。
後で知ったが典型的な漁師結びらしい。
今思えば、身についた財産になっている。
多分引退した漁師だったのだろう。
そんな貴重な人生の師がゴロゴロ居た中で生きてきた事が幸せだったと思う。
自分がそんな年になっても
困って居る子供達に声かけれない。
私変態ではないし、危ない奴ではないのですけど。
ただ意気地は無い、困ったものだ。