2019年01月30日
大先輩の通夜
昨日はお世話になった大先輩の通夜があった。
自分で言うのも変なのだが、
私は、戦前の教育を受けた魅力的な人達の
人間力を浴びて育ったと自負しているのだが。
そんな好きな大先輩の最後の一人だった。
他の方々は全て冥界へ旅立ってゆかれ、
勉強になる楽しい話を聞かせて頂ける貴重な一人だった。
通夜の経を聴きながら故人の人生を想像していた。
多感な10代後半に終戦。
目の前で非戦闘員の年寄り女子供をB29の爆撃で
殺されるのを見て、歯ぎしりをしながら空を見上げ。
終戦後の日本に自分がどの様に役に立てるかを思い、
精一杯実業の中で働いた。
常に周りを見渡しながら、弱い人の面倒をみて、
出来る手助けを精一杯して、公の役に立つ事は無条件で受け
精一杯の人生を走り抜けた。
最後病院で付き添っている娘さんに、
思い残す事は一切無いと言い切った。
そして家族に常に言っていた事は、
自分は次の世代に繋げる栄養分として生きれば良いと
言っていたという。
生前、仲の良かった私の師匠と同じような潔い最期だった。
そんな事を思いながら、最後のご挨拶をして斎場を後にした。
これで人間力を浴びる事が出来る最後の人を失った。
寂しいものだ。
そして自分の未熟を思いため息が出た。
自分で言うのも変なのだが、
私は、戦前の教育を受けた魅力的な人達の
人間力を浴びて育ったと自負しているのだが。
そんな好きな大先輩の最後の一人だった。
他の方々は全て冥界へ旅立ってゆかれ、
勉強になる楽しい話を聞かせて頂ける貴重な一人だった。
通夜の経を聴きながら故人の人生を想像していた。
多感な10代後半に終戦。
目の前で非戦闘員の年寄り女子供をB29の爆撃で
殺されるのを見て、歯ぎしりをしながら空を見上げ。
終戦後の日本に自分がどの様に役に立てるかを思い、
精一杯実業の中で働いた。
常に周りを見渡しながら、弱い人の面倒をみて、
出来る手助けを精一杯して、公の役に立つ事は無条件で受け
精一杯の人生を走り抜けた。
最後病院で付き添っている娘さんに、
思い残す事は一切無いと言い切った。
そして家族に常に言っていた事は、
自分は次の世代に繋げる栄養分として生きれば良いと
言っていたという。
生前、仲の良かった私の師匠と同じような潔い最期だった。
そんな事を思いながら、最後のご挨拶をして斎場を後にした。
これで人間力を浴びる事が出来る最後の人を失った。
寂しいものだ。
そして自分の未熟を思いため息が出た。