2014年11月12日
長寿社会の入口
長寿社会というのは良く言われるが、現実我が家もその中にいる。
95歳になる母は、半ボケ状態で、悲しくなるほどボケている時と、
あれっと思うほどしっかりしている時もある。
最初はオロオロしたが、最近は慣れたせいか少し落ち着いた。
これからの日々は日一日と母の体も弱っていくだろうが、
それを一瞬でもより良い状態で過ごす為の試みが続く。
なにしろ想定していない事態なので、どうすれば良いか手探りという事だろう。
しかし、今の若者は必ず訪れる事態だろう。
薬の進歩もすごいので、ますます長寿社会になるだろう。
生きることの質を、どう高めるか、そして人生の終焉をどの様に充実したもののするか。
大きな問題となろう。
先日、アメリカで末期ガンで自殺を選んだ若い女性がいたが、
いくら死ぬ権利とはいえ、彼女の人生はなんだったのだろう。
生きる責任をどう考えるのだろうか。
過去の大半の人間は生きる責任を全うしているのに、
アメリカには成熟した社会は訪れないのだろうか。
そんな事をつらつら思ったりもする。
そうせ神様は気が向きァ連れに来る、まぁ慌てることはあるまい。
95歳になる母は、半ボケ状態で、悲しくなるほどボケている時と、
あれっと思うほどしっかりしている時もある。
最初はオロオロしたが、最近は慣れたせいか少し落ち着いた。
これからの日々は日一日と母の体も弱っていくだろうが、
それを一瞬でもより良い状態で過ごす為の試みが続く。
なにしろ想定していない事態なので、どうすれば良いか手探りという事だろう。
しかし、今の若者は必ず訪れる事態だろう。
薬の進歩もすごいので、ますます長寿社会になるだろう。
生きることの質を、どう高めるか、そして人生の終焉をどの様に充実したもののするか。
大きな問題となろう。
先日、アメリカで末期ガンで自殺を選んだ若い女性がいたが、
いくら死ぬ権利とはいえ、彼女の人生はなんだったのだろう。
生きる責任をどう考えるのだろうか。
過去の大半の人間は生きる責任を全うしているのに、
アメリカには成熟した社会は訪れないのだろうか。
そんな事をつらつら思ったりもする。
そうせ神様は気が向きァ連れに来る、まぁ慌てることはあるまい。