2016年09月27日
ふるさとの山
ふるさとの山に向かひて 言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
石川啄木の「一握の砂」の中の詩
岩手県盛岡市生まれの啄木のふるさとの山 岩手山

南部片富士と呼ばれる。
私が友人の葬儀で訪れた盛岡市で圧倒された山。
まるで両手をを広げ包み込んでくれるようだ。
この様に圧倒された経験は富士山以外に無い。
最初私は富士山が何故ここに在るのか解らなかった。
夢遊病者のごとく眺めていたものだ。
死期が近づいていて、神経が研ぎ澄まされた啄木が
表現の言葉が見つからなかったのは、
その為だろう。
啄木も、わが友人も、この山に抱かれて眠っている。
ふるさとの山はありがたきかな
石川啄木の「一握の砂」の中の詩
岩手県盛岡市生まれの啄木のふるさとの山 岩手山

南部片富士と呼ばれる。
私が友人の葬儀で訪れた盛岡市で圧倒された山。
まるで両手をを広げ包み込んでくれるようだ。
この様に圧倒された経験は富士山以外に無い。
最初私は富士山が何故ここに在るのか解らなかった。
夢遊病者のごとく眺めていたものだ。
死期が近づいていて、神経が研ぎ澄まされた啄木が
表現の言葉が見つからなかったのは、
その為だろう。
啄木も、わが友人も、この山に抱かれて眠っている。