2018年08月21日

日本のスポーツとはなにか

今甲子園の熱狂を見ながらスポーツの未来について思う。
甲子園でピッチャーの選手が派手なガッツポーズをして
審判に注意され、そのせいかどうか、試合に負けた。
監督は、注意される程の事では無いように言っていた、
テレビの解説もそうであったと思う。
しかし、どうだろう勝者が敗者の前で派手なガッツポーズは、
昔は日本人はしなかった。
大陸や半島系の人は自己顕示欲が強く、自慢したがるが
日本人は基本相手の気持ちを思い、無表情を装う人が多かった。
あれほどホームランを打った王選手でも、
万歳をするくらいであった。
それは、打たれたピッチャーへの思いやりでもあるのだ。
それは日本人の美学でもあったと思うのだ。
日本人の祖先、縄文人は争いが極端に少なかった民族だ。
しかし、どうしても争わなければ成らないとき、落としどころを考え
後に恨みを残さぬよう、常に心遣いをしてきた。
神社巡りをしていると解る、勝った側だけでなく負けた側も
丁寧に奉ってあるのだ。
それは平和で安定した社会を作る大いなる知恵なのだ。
ヨーロッパでコロッセウムで奴隷兵士に戦わせたのと、
日本の相撲とは根本的に違う。
ヨーロッパは娯楽であるが、相撲は神事であり教えであるのだ。
つまり真の勇者は、相手を思いやる度量と才覚をもって横綱なのだ。
NHKの解説者も、テレビの解説者もそれを言わない。
それをちゃんと教えないので、モンゴル人は、
真の横綱の意味が解らないのだ。
そうでなければ、高校野球も相撲も本当の人気は無くなるだろう。
ONが人気があったのは、ただ野球が巧かったからではない。
大鵬が人気があったのは、ただ強かったからではない。
それを知る貴乃花は良く頑張っている。
ただ方法は考え直さねばなるまい。難しい時代だ。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:36Comments(0)日記