2018年08月29日

知・情・意は間違い

人間の能力というかレベルというか評価を、
知(知識、知恵)・情(情け、情緒)・意(行動力、決断力)と言われる。
それが優れて居る事が評価に価する。
知を情を意を育てる事が教育とも言える。
しかし、これは間違いだと言う。
正確には、順序が違うのだ。
知・情・意の順で教育するのが、欧米の教育であり、
まず知を育てよ、すると情が理解出来る様になる。
そうすれば意・判断力が身につくというのだ。
戦後教育はそれなのだ。
基本はダーウィンの進化論、子供は産まれた時は猿、
未進化の動物なのだ、だから知識をたたき込み、
人間にしてやるのだ。
これは、植民地政策と同じなのだ。
所が日本は昔から、情・知・意の順に教育した。
子供は両親に挟まれ川の字で育てられ、
小学校の低学年まで母親と一緒に寝る子供も珍しくなかった。
その甘やかしとか言われる情の世界から、
無限の愛を受けながら育っていく。
情というのは巨大な知を一挙に理解出来る力を持つ。
情緒豊かな日本では、漫画とかアニメにその姿があり、
友情・団結・正義・誠実などを感覚から理解する。
情で理解すれば、知などはオマケなのだ。
正しい判断(意)は、そこから生まれる。
七五三という神事は、神・仏の子が三歳五歳と人間の世界に降りてきて、
七歳となり、人間になった事を祝うものだ。
子供は神様なのだ。
昔の日本人インスピレーションの素晴らしさは、ここだろう。
縄文時代一万五千年争いが無かったのは、
お互いのインスピレーションが合ったのだろう。
豊かな情緒こそ後の世代に残す宝だと思う。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 10:25Comments(0)日記