2012年04月26日

光秀謀反の裏側

光秀が謀反で信長をうってから数百年が過ぎた。
歴史に「たら」は無いと言うが、信長が生きていたら間違いなく中国大陸を制圧に向かったという。
そんな中、何故光秀が謀反をしたかについては今だに色々な説がある。
これも想像するのが面白い。信長に馬鹿にされた怨恨説も有力だが、光秀という人を時代を
追って観察すると、浅野内匠頭でもあるまいし、戦国時代を自分の裁量で切り開いた人だ、
そんな病的に単純とは思えない。
私が信じたいと思うのは、実は信長は家康が邪魔になり、謀殺するため、自分がおとりになり、
家康をおびき出し、そこを光秀に大軍で殺させようとした。
光秀は、家康の方が生かすに値すると考え、家康にその事を伝え、信長を撃った。
そして、土民に殺されたふりをして、家康の時代に天海僧正として長寿をまっとうした。
その説が気に入っている。なぜなら、それが一番結果として日本として良い選択肢に
落ち着くきがするのだ。
信長の才覚ならば、中国大陸を制覇する事が間違いないだろう。しかし、
あの大きい国を数百年統治し続ける事は、不可能だろう。
なぜなら、そこまで信長は生きないからだ、能力で言えば信長は千年に一人の天才だろう。
そのマネは、秀吉でも無理だった。血族なら尚更だろう。
百年もしないうちに、中国国内から大将軍が出て、下手をすれば日本本土まで
制圧されたかもしれない。中国の歴史は4000年とほざくが、満足に100年以上もった国家は
数えるほどしかない。今の共産党毛沢東王朝も、せいぜい80年、あと20年もつかどうか・・
まぁそんな事想像しながら一日が終わっちまった。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:51Comments(0)歴史