2015年05月14日

歴史の不思議

本能寺の変は、後の時代に秀吉が作った創作で、
家康も都合がいいので、それに乗ったという事らしい。
本当の信長は、切れやすいパワハラを繰り返す様な人間ではなく。
本気で中国進出も考えていたとか。
それを、光秀の子孫の人が50年近くを要して、本にしたらしい。
今は簡単な説明を聞いただけだが、今度しっかり読んでみたいと思う。
しかし、秀吉と家康は同じ穴のムジナであり光秀と共謀して、
信長を葬ったとは・・・。
確かに、それなが合点が行く。
戦国時代、一匹狼の様な武将を束ねるのに、
そんな切れやすい性格で人望が無い人間は、
早いうちに歴史から消えてるハズだし、信長ほどの知性がある人間が
それが解らぬハズがない。
秀吉と家康が信長の子孫に対して大事にしたのも、そんな裏があり、
家康が根こそぎ秀吉の形跡を消そうとした裏には、それがありそうだ。
実際、徳川家は子々孫孫女系をたどれば、ほぼ織田家であり、
血の濃さで言えば、家康より信長なのだ。
歴史好きには、こたえられないテーマで、面白い。
日本ですらこうなのだ、中韓が歴史を書き換えようとするのは当然かもしれない。
しかし、真実は必ず解ると信じたいものだ。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 13:25Comments(0)日記