2016年01月09日

世界は誰のもの

少し長く(50年以上かな)人間やっていて思うのだが、
今の世界は強いものの為にあり、弱いもの未熟なものは捨てられてしまう。
特に海外では、その傾向は強い。
欧米では、まだメンタルの面では、中世を出ていない。
農園を使った奴隷制度は廃止したが、金融を使い奴隷制度を浸透させようとしている。
大陸と半島(支那朝鮮)は、易姓革命よろしく、今だに勝ったもん正義。
どんな手段を使っても、卑怯だとか、汚い、などはおかまいなし、
後で歴史を書き直せば、一件落着という事だ。
4000年続けてきた、この外道のDNAは今だ健在な様だ。
日本人の様に信じやすい民族は、「まさか、そんな事はしないだろう。」のその「まさか」と
そんな人でなしな事が、出来てしまうのだ。
その結果、日本では子供、老人が犠牲になっていく。
弱肉強食のとどのつまりは、「そして誰もいなくなった。」なのだ。
日本人は神話の世界でそれを知って、
10000年の縄文文明の時、(10000年は文明であり、文化ではない。)
奇跡的に戦いの形跡が無かった。
その子孫は弱きを助け強気をくじく者こそ立派な大人と教わったのだ。
それでなければ、最後には地球は破滅する。
支那は今そのモデルを見せている。
ダメな土地、ダメな水、ダメな空気、そして怠惰で強欲な人間。
地球上すべてそうなったら最後だ。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 17:55Comments(0)日記