2016年01月22日
老後貧困
そこそこの会社にいて定年を迎え、その後悠々自適の生活と思いきや、
親や配偶者の世話や入院手術など、いつの間にか老後貧困になり、
予想もしない事態になる。
そんな事が実際に起き始めている。
例えば定年を迎えたとしても60歳の人間の親が生きているという事は珍しくない。
私も90歳を超えた親がいた。
しかし、90歳を超えた親は特別な例もあるが、病気がちで入院をしている事も多い。
しかし、公営の老人病院などは安いが、順番待ちで長い行列。
とっても生きているうちに入れそうもない。
かと言って老老介護は衰えていく身にとって辛い事が多く、感情のズレもある。
むしろ他人の方が仕事と割り切って楽な事も多い。
共済年金が充実している所では、それ以上に貰えるだろうけど、
年金は普通では貰っている人でも月額20万くらい。
気の利いた老人病院は20万の上かかる見当だ。
普通の家庭では、その様な事態になったら、すぐに貧困家庭となってしまう。
65歳まで働ける会社もあるが、給与は半額。
生活も厳しい。
つまりは、死ぬ直前まで働かなければ、周りに迷惑をかけるのが実体だ。
これは私などの実体験なのだ。
しかし、多くの人は60歳と言っても元気で、病気も特になく健康な人も多い。
そういう人達を老後貧困に追いやる位ならもっと活用の仕方があるだろう。
幼稚園や小学校の補助教員なども良いだろう。
最近の未熟な親や教師は、子供たちを本気に育てようという気持ちというか
心構えが出来ていない気がする。
その点、60歳を過ぎた人なら多くの場合子育ての実績があり、
孫のお守りを楽しむ人もいる。
今のようにコミニティが壊れた様な社会では、近所の子にお節介をやく人がいない。
それなら、老人を利用すれば良い、
安い給料でも元気なら働けるだろう。
老人も元気な女性なら小さい子供の世話はお手の物だろう。
少子化と人手不足というのなら、移民の受け入れなどと馬鹿げた事より、
年寄りを有効に使えば良い。
老後貧困も減り、文化の違いにより起こる問題も少ない。
老人が楽しんで働いて、良き消費者になる事が、
少子化時代の豊かな生活だと思うがもっと考えてみたらどうだろう。
働く事は苦しみなどでは無い。喜びなのだ。
それこそが日本の文化のはずだ。
親や配偶者の世話や入院手術など、いつの間にか老後貧困になり、
予想もしない事態になる。
そんな事が実際に起き始めている。
例えば定年を迎えたとしても60歳の人間の親が生きているという事は珍しくない。
私も90歳を超えた親がいた。
しかし、90歳を超えた親は特別な例もあるが、病気がちで入院をしている事も多い。
しかし、公営の老人病院などは安いが、順番待ちで長い行列。
とっても生きているうちに入れそうもない。
かと言って老老介護は衰えていく身にとって辛い事が多く、感情のズレもある。
むしろ他人の方が仕事と割り切って楽な事も多い。
共済年金が充実している所では、それ以上に貰えるだろうけど、
年金は普通では貰っている人でも月額20万くらい。
気の利いた老人病院は20万の上かかる見当だ。
普通の家庭では、その様な事態になったら、すぐに貧困家庭となってしまう。
65歳まで働ける会社もあるが、給与は半額。
生活も厳しい。
つまりは、死ぬ直前まで働かなければ、周りに迷惑をかけるのが実体だ。
これは私などの実体験なのだ。
しかし、多くの人は60歳と言っても元気で、病気も特になく健康な人も多い。
そういう人達を老後貧困に追いやる位ならもっと活用の仕方があるだろう。
幼稚園や小学校の補助教員なども良いだろう。
最近の未熟な親や教師は、子供たちを本気に育てようという気持ちというか
心構えが出来ていない気がする。
その点、60歳を過ぎた人なら多くの場合子育ての実績があり、
孫のお守りを楽しむ人もいる。
今のようにコミニティが壊れた様な社会では、近所の子にお節介をやく人がいない。
それなら、老人を利用すれば良い、
安い給料でも元気なら働けるだろう。
老人も元気な女性なら小さい子供の世話はお手の物だろう。
少子化と人手不足というのなら、移民の受け入れなどと馬鹿げた事より、
年寄りを有効に使えば良い。
老後貧困も減り、文化の違いにより起こる問題も少ない。
老人が楽しんで働いて、良き消費者になる事が、
少子化時代の豊かな生活だと思うがもっと考えてみたらどうだろう。
働く事は苦しみなどでは無い。喜びなのだ。
それこそが日本の文化のはずだ。