2016年03月28日

横綱の責務

断然に強い白鵬が勝ち、春場所が終わった。
しかし、その勝ち方が横綱的でないという事で涙を流したという。
確かに気の毒だ。
アスリートというのは体の条件反射であり、
アスリートとして戦って来たモンゴル人には難しいだろう。
元々神事としての相撲を理解していない部分については、
頭で解っても反応が出来ないという事かも知れない。
今の時代の高度なアスリートとしての能力と、
日本人の精神性としての相撲道。
貴乃花が変人とされているのは、彼は相撲道の行者なのだろう。
そう思うと北の湖が最後の横綱道だったのか、
スポーツとしての相撲を進めるか、相撲道を進めるか、
どこかで線引きしなければならない時が近づいているのだろう。
スポーツにするとオリンピックのジュードーの様に、
レスリングとの違いがないつまらないスポーツとなるだろうし、
相撲道を突き詰めると、文化財としての歌舞伎の様に
日本国内だけのものとして形式化していくのだろう。
その中で発達できるのだろうか、
一方的にモンゴル人が悪いとは思わないが、
難しい局面の様な気がする。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 17:45Comments(0)日記