2011年10月12日
落語の中の家族
好きで落語のCDを聞いているが、落語の中には多くの人情話が出てくる。
「薮入り」なんかは、その典型で、一人息子を奉公に出して、その子が初めての薮入りで
帰ってくる。その両親が前の日からソワソワして、ああしてやりたい、こうしてやりたいと、
子供を思う親心が伝わってくる。
物語は、勘違いから笑いと涙で綴られる古典の名作なのだが、そんな落語を聞いて、ニュースなどを
見ると、親が子を殺したとか、子が親を殺したとか、大きな落差ののニュースが目に入ってくる。
江戸時代は現代よりも貧しく、しかも学問も現代人ほどしていないだろうけど、
この様な落語が残っていることからすると、精神世界は当時のほうがずっとチャントしている様にも思う。
物質文明を謳歌して来た為にそうなったのかも知れないが、そろそろ人間大事について
もっと時間をかけて考える必要がありそうだ。
勝った負けただけでは無く人生の機微を感じるモノを日本から発信出来ないだろうか。
「おしん」は世界を席巻したし、日本のアニメの源流も、そんな中にあると思うのだが。
「薮入り」なんかは、その典型で、一人息子を奉公に出して、その子が初めての薮入りで
帰ってくる。その両親が前の日からソワソワして、ああしてやりたい、こうしてやりたいと、
子供を思う親心が伝わってくる。
物語は、勘違いから笑いと涙で綴られる古典の名作なのだが、そんな落語を聞いて、ニュースなどを
見ると、親が子を殺したとか、子が親を殺したとか、大きな落差ののニュースが目に入ってくる。
江戸時代は現代よりも貧しく、しかも学問も現代人ほどしていないだろうけど、
この様な落語が残っていることからすると、精神世界は当時のほうがずっとチャントしている様にも思う。
物質文明を謳歌して来た為にそうなったのかも知れないが、そろそろ人間大事について
もっと時間をかけて考える必要がありそうだ。
勝った負けただけでは無く人生の機微を感じるモノを日本から発信出来ないだろうか。
「おしん」は世界を席巻したし、日本のアニメの源流も、そんな中にあると思うのだが。