2016年05月20日
生きてある事
昨年の今頃を考えると、今との違いに愕然とする。
今というのは、今の精神状態である。
どう違うかというと、
私の母と大学時代に友がまだ生きていたという事である。
母は10月に、友は正月になくなった。
昨年の今頃は普通に話が出来ていたのに。
ただ、昔と違いまったく居なくなったいう感じもしないのである。
つまり生と死が、それほど遠いものと思えなくなっているのである。
私にして死は昔ほど遠くないリアルな世界なのだ。
勿論、自死などはしないつもりだ。
そんな事しなくとも20年30年という時間の中では死は遠くないのだ。
先に逝った人達を思えば、日々生きてある事の価値が重く。
見慣れた景色も瑞々しいものだ。
特に最近は幼稚園までの小さな子達の姿を見たり声を聞くと、
飽きずに見ている事も多い。
彼らこそ明日を担う人間なのだ。
そういえば、幼稚園児の声がうるさいという事で
幼稚園の計画が白紙になったとか。
よく解らん大人もいるものだ。
心を病んでいるのではないだろうか。
むしろ私なら、子供たちの喜ぶ声などを
聞きながら成仏したいものだ。
金儲けの欲望を垂れ流す坊主のお経より天国の近そうだ。
今というのは、今の精神状態である。
どう違うかというと、
私の母と大学時代に友がまだ生きていたという事である。
母は10月に、友は正月になくなった。
昨年の今頃は普通に話が出来ていたのに。
ただ、昔と違いまったく居なくなったいう感じもしないのである。
つまり生と死が、それほど遠いものと思えなくなっているのである。
私にして死は昔ほど遠くないリアルな世界なのだ。
勿論、自死などはしないつもりだ。
そんな事しなくとも20年30年という時間の中では死は遠くないのだ。
先に逝った人達を思えば、日々生きてある事の価値が重く。
見慣れた景色も瑞々しいものだ。
特に最近は幼稚園までの小さな子達の姿を見たり声を聞くと、
飽きずに見ている事も多い。
彼らこそ明日を担う人間なのだ。
そういえば、幼稚園児の声がうるさいという事で
幼稚園の計画が白紙になったとか。
よく解らん大人もいるものだ。
心を病んでいるのではないだろうか。
むしろ私なら、子供たちの喜ぶ声などを
聞きながら成仏したいものだ。
金儲けの欲望を垂れ流す坊主のお経より天国の近そうだ。