2009年10月21日
運の話
今は亡き麻雀の神様と言えば、阿佐田哲也。
若い時、「麻雀放浪記」を、むさぼる様に読んだ記憶がある。
彼の「運」についての考えは、「運」は引くものである。
麻雀卓を囲むと、まず運の計測を行う、今日ついている奴、
今日ついてない奴、そして自分はどこにいるか。
自分が一番ついていれば、攻め。
一番ついていなければ守り。
ついていてもミスを連発すれば、運を落とす。
ついていなくても、ミスが無く、誰かがミスをすれば、運は上がる。
そしたら、慎重に攻めてでる。
その様な事だったと思う。
人生も似ている気がする。
ただ、麻雀は4人の中の事、他の3人をミスに誘導して落とし込めば、
麻雀は勝てるが、人生はそうはいかない。
目先のライバルは落とせるかもしれないが、
自分いがいの人すべてを落とす事は不可能だ、60億人も、
だから、地道な努力のみが、人生の勝者になるのではないのかなぁ。
でも、まだ他人の足を引っ張って勝った「フリ」をしている人間も多いよねぇ
若い時、「麻雀放浪記」を、むさぼる様に読んだ記憶がある。
彼の「運」についての考えは、「運」は引くものである。
麻雀卓を囲むと、まず運の計測を行う、今日ついている奴、
今日ついてない奴、そして自分はどこにいるか。
自分が一番ついていれば、攻め。
一番ついていなければ守り。
ついていてもミスを連発すれば、運を落とす。
ついていなくても、ミスが無く、誰かがミスをすれば、運は上がる。
そしたら、慎重に攻めてでる。
その様な事だったと思う。
人生も似ている気がする。
ただ、麻雀は4人の中の事、他の3人をミスに誘導して落とし込めば、
麻雀は勝てるが、人生はそうはいかない。
目先のライバルは落とせるかもしれないが、
自分いがいの人すべてを落とす事は不可能だ、60億人も、
だから、地道な努力のみが、人生の勝者になるのではないのかなぁ。
でも、まだ他人の足を引っ張って勝った「フリ」をしている人間も多いよねぇ