2012年08月11日

教育の負担

最近、近江商人についての本などを読んで思うのだが、彼らは子弟の教育に寺子屋を使った。
「読み・書き・そろばん」を教えて、識字率は江戸時代で70%位だったというから、
その時代の世界でもトップだろう。そうしてそのベースの上に人格教育も含めた「しつけ」をおこなった。
12才になったら家から丁稚に出され、何年間も家へ帰れない環境で、社会人としての教育を
先輩や奥さんから受ける。
10年も経ってから、その中でも有能な人間だけ給与を貰い通いの店員になる。
そして、その中から番頭になり、大番頭に上り分家をしてもらうものも現れる。
現在ではどうだろうか、中学卒業以前では働けないし、働いたら、丁稚という訳にゆかない。
最低賃金や社会保険の加入義務などがあり、のんびり育てると言っても、余程経済的余裕が無ければ
企業で育てるというのは無理な話だ。
では学校を出て、直ぐ戦力になるかというと、殆んどの業界で無理だろう。
どんな仕事も、最低5年、気の利いたものでは10年かかる。
昔なら職人は見習い。商人は丁稚というふうに泊り込みで安い小遣い程度で何年も我慢して、
力をつけ、そして一人前になって職人の給金になった。
これらの一人前になるための教育の負担を何処が負うべきなのだろう。
近江商人の本を読んでいて思った。
少なくとも、今の学校の制度では良い商人や職人は出来ない。
出来るとしたら、官僚や学者、そして公務員だ。
かれらだけではこの国は沈没する。良い商売人と良い職人(技術者)が居てこその経済だ。
良い職人と良い商売人を育てるのは誰なのか国に意見を聞きたいと思う。
松下幸之助が言った。「松下電器は人財を作っています。ついでに電気製品も作っています。」と、  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 15:59Comments(0)日記