2013年07月31日
高野山詣で
今年天寿を全うし、黄泉の世界に旅立った私の恩師は、
辞世の句として、「見送らん 人は無くとも 胸張って 渡る三途や 高野山」
という辞世の句を残した。2月25日の事だった。
職業軍人のエリートとして、多くの戦友を戦地で亡くした。
その戦友と高野山で待ちあう約束をして、墓を建ててあるという。
見事な最後と、故人の人柄で、どこかあっさりした気分がしていたが、
半年経ち、この辞世の句を読んでいたら、喪失感が自分をとらえ始めた。
知らず知らず、こんな時、あの人は何というのだろう。
どんな顔をして言うのだろうと、さかんに思い出す。
そう、ちゃんと私の中に住んでくれているのだ。
そう思ったら、とても会いたくjなった。
そうだ、高野山に行こう。故人が戦友と落ちあい、神になったあの場所へ、
そこで落ちあい各地の護国神社の神となる。
そんな気がしている夏の夜長。
辞世の句として、「見送らん 人は無くとも 胸張って 渡る三途や 高野山」
という辞世の句を残した。2月25日の事だった。
職業軍人のエリートとして、多くの戦友を戦地で亡くした。
その戦友と高野山で待ちあう約束をして、墓を建ててあるという。
見事な最後と、故人の人柄で、どこかあっさりした気分がしていたが、
半年経ち、この辞世の句を読んでいたら、喪失感が自分をとらえ始めた。
知らず知らず、こんな時、あの人は何というのだろう。
どんな顔をして言うのだろうと、さかんに思い出す。
そう、ちゃんと私の中に住んでくれているのだ。
そう思ったら、とても会いたくjなった。
そうだ、高野山に行こう。故人が戦友と落ちあい、神になったあの場所へ、
そこで落ちあい各地の護国神社の神となる。
そんな気がしている夏の夜長。